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2008年02月07日

意外と知られていない珍々洞(その3)

珍々洞に向かう道は吸い込まれるかのように洞窟の中へ.... 早速入ってみます。
珍々洞














洞窟の中に入っていくにつれ、だんだんと足下が暗くなってきます。
珍々洞














足下を照らす照明を頼りに、中へ進んでいきます。
珍々洞














50メートルほど進むと、照明があるにも関わらず、かなり暗くなります。

ここで行き止まりなのですが、周りがよく見えません。ふと見ると、左手の小さな明かりのところに赤いボタンが一個。これを押してみると....
珍々洞






















パチっと照明に灯がともり、周りが明るくなります!

そして!








じゃーん!珍々洞がその姿を現します!
珍々洞














写真で見ると小さく見えますが、長さは3メートルほど、その太さは大人が手を回しても届かないほどです!
珍々洞














奥側から眺めると、おおっ、後光がさしている!
珍々洞














横向きで撮影しても、その黒光りしたお姿が凄い!
珍々洞














この珍々洞ですが、もちろん?子宝の神と言われています。実は、洞窟の入り口付近には満々洞という岩の割れ目もあるのですが、どうも落石があったらしく近づくことが出来ませんでした。

珍々洞に触れながら拝むと、子宝に恵まれると言うことで、毎年多くの方がここを訪れるのだそうです。
珍々洞














今回の目的である、珍々洞のその凛々しいお姿?もデジカメに納めましたので、ここから撤収します。

途中振り返ってみると、この距離からでも、その威風堂々としたお姿を拝見することが出来ます。
珍々洞














一つだけ断っておきますが、珍々洞が黒光りしている理由は、岩の質がそうだからという訳ではなく、第二次世界大戦中に米軍が使用した火炎放射器のせいだと言われています。

こんなところにも戦争の影響が残っているのです。決してウケ狙い?で黒光りしている訳ではありません。
珍々洞














珍々洞を見て大ウケ?してもいいですが、そういう事実があるということも忘れずに。



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Posted by はじめ at 00:31Comments(16)TrackBack(0)南城市

2008年02月05日

意外と知られていない珍々洞(その2)

駐車場にあった看板を頼りに道を進んでいきます。
珍々洞














意外と長い距離を歩きますので、途中で迷子にならないよう、看板が設置されています。
珍々洞














道は川沿いを進んでいきます。
珍々洞














川沿いを進んでいくと....
珍々洞














川を流れる水の音が大きくなってきます。
珍々洞














あっ、洞窟だ!
珍々洞














まるで吸い込まれるかのように、道は洞窟の中へ進んでいます....

(続きはまた次回!)



....この勿体ぶった記事の見せ方。どこかで見たような。 >> 洞寺の風景はこちら!



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Posted by はじめ at 15:43Comments(4)TrackBack(0)南城市

2008年02月03日

意外と知られていない珍々洞(その1)

実は私、南城市にある珍々洞は、沖縄の人なら誰でも知っているとばかり思っていました。

ところが、周りの人にその場所を聞いても誰も知らないので、ちょっと意外でした。

珍々洞は南城市玉城にあるおきなわワールド・文化王国の駐車場入り口そばにあります。下はおきなわワールドの駐車場入り口なのですが....
珍々洞














駐車場入り口から道を挟んで対向側に、あまり目立たないもう一つの駐車場入り口があります。
珍々洞














そちら側の駐車場に入ると、かなり広々とした空き地があるのですが、その空き地の奥に向かって進んでいくと、
珍々洞














珍々洞の看板を見かけます。
珍々洞














看板の矢印通り、奥に進んでいくと....


(続きはまた次回!)

沖縄本島 珍々洞の場所はこちら




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Posted by はじめ at 00:43Comments(8)TrackBack(0)南城市

2007年10月17日

浜川御獄の風景

南城市にある受水走水(うきんじゅはいんじゅ)から更に奥へ300メートルほど行くと、浜川御獄(はまがわうたき)を見ることが出来ます。
浜川御獄の入口














本 「浜川御獄(はまがわうたき)」 (神名 ヤマハラヅカサ潮バナツカサ) - 現地の看板より引用。

 昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハヅカサ(前方50メートルの海中にある、ギライカナイへの遙拝所となっている)に上陸し、浜川御獄にしばらく仮住まいした後、今のミントングスクに安住の地を開いたと言う。この地は霊域として、東御廻いの拝所である。

昭和52年7月21日指定 玉城村(現南城市)教育委員会

浜川御獄へ入る道は狭いのですが、中へ歩いてみると結構敷地は広いです。
浜川御獄














石垣の上には小さな拝所らしき建築物が見えます。
浜川御獄














岩場の側も神聖な場所なのですね。
浜川御獄














浜川御獄は周りを岩に囲まれた、大小様々な木が茂っている場所です。
浜川御獄














沖縄本島 浜川御獄の場所はこちら



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2007年10月10日

受水走水は沖縄稲作発祥の地

南城市にある新原(みーばる)ビーチ近くには、沖縄の稲作発祥の地として伝えられている受水走水(うきんじゅはいんじゅ)があります。

国道331号線から新原ビーチ入口の手前の道を左折、200メートルほど進んでいくと受水走水の案内標識が見つかります。
受水走水の入口














いつの間にか、受水走水への入口は綺麗になりましたね。
受水走水の入口














本「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)」 (神名 ホリスマスカキ君ガ御水御イベ) - 現地の看板より引用。

 ここは沖縄の稲作発祥の地として伝えられている。「琉球国由来記」(1713年編)によれば昔、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持って玉城親田、高マシノシカマノ田に植え始めた。また伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原村の「カラウカハ」というところに落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツによって受水走水の水田(御穂田)に移植されたという。
 この地は東御廻り拝所として霊域になっていて、旧正月の初午の日には、田植えの行事「親田御願」が行われている。

昭和52年7月21日指定 玉城村(現南城市)教育委員会

現地には湧き水と思われる水源があり、湧き出た水は御穂田に流れていきます。
受水走水














受水走水














そう大きいとは言えない親田ですが、紛れもなくここが沖縄稲作発祥の地です。
受水走水














受水走水














沖縄の稲作はここから各地に広まっていったのですね。


沖縄本島 受水走水の場所はこちら



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2007年08月20日

具志堅の樋川も見つけたよ

仲村渠樋川、垣花樋川と続いたあと、もう一つ具志堅の樋川(かー)も見つけましたので紹介します。

具志堅の樋川は国道331号線沿いにあり、具志堅集落を車で走っていると見ることが出来ます。作りが沖縄のお墓に似ているので、パッと見たときは道沿いにお墓があるものと勘違いしてしまいました。















本「史跡 具志堅の樋川(カー)」 - 現地の看板より引用。

 知念大川を水源とするこの樋川(カー)は、昭和4年に字住民の手で築造された総粟造りの堅固なものである。正面に3個の吐水口と洗濯場、右側に沐浴場のある立派な造りで、住民生活に欠かせない貴重な場所であった。

- 平成14年8月19日 知念村(市町村合併により、現在は南城市)教育委員会 知念村史跡

これが本来の水量なのかどうかは分かりませんが、この日の水量は少なめでした。















湧き水が飲めるかどうかは分かりませんでしたが、当時の住民にとって欠かせない水であったことは間違いありません。
















沖縄本島 具志堅の樋川の場所はこちら。



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2007年08月19日

垣花樋川で涼もう!

このところ全国各地で猛暑が伝えられていますので、ブログの記事くらいは涼しい内容でいきたいと思います。

前の記事で紹介した仲村渠樋川から車で数分のところに、沖縄県より唯一環境省の名水百選に選ばれた垣花樋川(かきのはなひーじゃー)があります。















仲村渠樋川より集落の中に入ること数分、垣花樋川の入り口が見えてきます。















民家のそばから坂を下るようにして樋川へ向かいます。国道331号線沿いから入るルートもありますが、そちらの方は入り口が少し分かりにくいかもしれません。















坂を100mほど下ります。勾配がきつく石畳が滑りやすいので、足下には注意して下さい。















丘陵の途中に垣花樋川があります。集落から少し離れていることもあり、本当に静かで風と水の音しか聞こえません。
















本「垣花樋川 (俗称シチャンカー)」 - 現地の看板より引用。

 天然の美しい川や泉を保全して後生に伝えるという目的で推薦され、昭和60年に環境庁の全国名水百選に選ばれた。百選の中でも最初は全国で31件が選ばれ、これに入選したほどである。
 垣花樋川は集落の南側にあって、石畳の急な坂道(カービラ)を100メートルほど下りていくと、左側のうっそうと繁った林の中腹岩根から湧き水が湧き出ている。かつては左側上のイナグンカー(女の川)は女性が使い、右側下のイキガンカー(男の川)は男性が使っていた。その下流の浅い水たまりはンマミシガー(馬浴川)、全体をまとめてシチャンカー(下の川)と呼ばれ、樋川から流れた水は下側の田を潤し、稲作が盛んであった。
 垣花村の人々はシチャンカーで水浴び、洗濯、野菜洗い、水汲みをするため、カービラ(川の坂)を行き来した。石畳道の途中には女たちが一息入れたナカユクイイシ(中休み石)、イーユクイイシヒライサー(上休み石の平石)が残っている。
 現在は簡易水道として、地域の飲料水等の生活用水や、農業用水として利用されている。

- 南城市玉城字垣花 平成18年1月

かなりの量の水が湧き出ています。飲んでみると冷たくて美味しかったです。















ンマミシガーは浅くて、幼稚園くらいの子供が中に入っても水が膝まで浸かるかどうかなので、よく子供が中に入って水遊びしています。親が近くで見ているのであれば安心です。















また垣花樋川は山の斜面にあるため、眼下に広がる青い海を見渡すことが出来ます。















涼しく、静かで、景色よし。涼みに行くなら、案外穴場かも知れません。















沖縄本島 垣花樋川の場所はこちら。



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2007年08月18日

仲村渠樋川で涼もう!

このところ全国各地で猛暑が伝えられていますので、ブログの記事くらいは涼しい内容でいきたいと思います。

南城市玉城の仲村渠児童館そばに、仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)と呼ばれる源泉があります。その日もかなりの量の水が湧いていました。
















本「仲村渠樋川 (国指定重要文化財)」 - 現地の看板より引用。

 仲村渠樋川は仲村渠集落の共同用水施設で、沖縄の伝統的な石造井泉(せきぞうせいせん)を代表するものである。
 古くは「うふがー」と呼ばれ、水場に木製の樋をすえた程度の施設だったようだが、大正元年(1912年)から翌年にかけ、津堅島の石工により琉球石灰岩などを用いて造り替えられた。その施設は「いきががー(男性用水場)」、「いなぐがー(女性用水場)」、広場、拝所、共同風呂、かーびら(石畳)によって構成され、敷地北側からの湧水を貯水槽に貯え、水場へ流して使用されていた。昭和30年代に簡易水道が敷設されるまでは、飲用、洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水として利用されていたが、最近は主に農業用水に利用されている。
 しかし、先の沖縄戦で共同風呂周辺は破壊され土で埋められたため、昭和39年に広場にはモルタルが塗られ仮の改修がなされた。更に平成16年に実施された復元工事により、大正2年(1913年)当時の樋川の状態に復元され、敷地全体の景観が整えられた。同時にいきががーの芋洗い場や広場の石敷き、共同風呂も復元がなされた。共同風呂については主に発掘調査により発見された出土品(北側の石柱二本、石壁の一部、水槽、洗い場床、五右衛門風呂の一部)や近辺の類例などをもとに復元がなされた。また法面保護のため、共同風呂北側および広場東側に擁壁工事が施され整備された。

- 玉城村(市町村合併により現在は南城市)教育委員会 平成17年3月31日

こちらが仲村渠樋川のいきががー(男性用水場)です。















正面の広場はガジュマルの大木で木陰となっており、涼しい風が吹いています。















いなぐがー(女性用水場)の方も覗いてみます。こちらもかなり水が湧いていました。















少しは涼しくなっていただけましたか?

沖縄本島 仲村渠樋川の場所はこちら。



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2007年08月16日

前から気になっていたテダ御川

南城市知念にある海鮮グルメレストラン「わちばる太郎」がお気に入りで、近くを通りがかったとき立ち寄ったりするのですが、その入口に立っているテダ御川という看板が前からどうも気になっていました。






























大した看板ではないのですが、気になって仕方なかったので、実際に行ってみることにしました。















看板が示す通路を歩いていくとお墓が幾つかあるのですが、そのお墓のそばにある脇道を更に進みます。















道は更に続きます。















道が結構長いので、だんだん不安になってきます。















そんな不安を感じ取ったのか、もう引き返そうかと考え始めたちょうどそのとき、テダ御川の案内板を見つけました。この道を進むことで間違いないようです。















更に進むと灯台が見えてきました。















灯台のそばから、海に向かって坂を下っていきます。















下りも結構長いです。















坂を下ったところに歩道がありました。















歩道を更に歩いて行くと...















テダ御川を見つけることが出来ました。















なるほど、テダ御川とはこういうものかと分かったのですが、どういう由来があるのかと思い、そばの案内板を見てみると...

読めない!

海のそばにあるからこうなるのか、案内板に書かれている文字の腐食が進んでおり、半分以上何が書かれているのか読み取れません。関係者の方々、この案内板をどうにかしてもらえませんか?

沖縄本島 テダ御川の場所はこちら。



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2007年08月12日

糸数アブチラガマで平和について考える(その2)

何の知識もないまま、単なる興味本位で中に入ったアブチラガマなのですが、今さら入口に引き返すことも出来ず、暗闇の中表示される順路の看板だけを頼りに先へ進みました。

しかし人間の目とは凄いもので、しばらくするとうっすらとではありますが周りの様子が見えてくるようになり、ガマの中にある看板の位置が何となく分かるようになってきました。















破傷風患者が集められた場所です。岩の窪みを利用した場所のようですが、人がかがんでやっと入れるような狭さです。















写真では分かりにくいですが、脳症患者が集められた場所とのことです。















看板では便所とありましたが、果たしてどこが便所なのかよく分かりませんでした。もしかしたら垂れ流しだったのかも...















南風原陸軍病院の分室として使われていたときの治療室です。















治療室の隣には軍医室があります。すぐ側には空気孔があるようです。















カマド跡なのですが、一部は戦後復元された箇所があるそうで、当時の形とは少し違うとのことです。















多分15分ほど中を歩いたと思いますが、やっと念願の出口が見えてきました。















出口を登り切ったところです。空気がこんなに美味しいものだとは思いませんでした。















出口もまた目立たないところにあります。















正直に言うと、ガマの中に居たときはあまりの怖さで見学に入ったことを後悔し、ひたすら外に出ることだけを考えていました。しかしいざ外に出てみると、当時の中の様子はどうだったのか、当時の方々がどんな気持ちでこの中に居たのか、とても考えさせられました。

外に出てきたとき、私が一番始めにしたことは"深呼吸"でした。ガマの中の暗く、蒸し暑く、怖く、とにかく居心地の悪い雰囲気から一刻も早く抜け出したかったからです。

でも当時の方々は、そのたったの"深呼吸"すら許されなかったのかも知れません。


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2007年08月09日

糸数アブチラガマで平和について考える(その1)

沖縄の言葉で洞窟や洞穴のことを"ガマ"と言います。

南城市玉城に糸数アブチラガマという名前の自然洞窟があります。第二次世界大戦の沖縄戦では避難壕として使用され、現在は平和学習や修学旅行の観光コースとして紹介されることが多いとのことです。

実は私、恥ずかしながらその日までアブチラガマの存在を知りませんでした。たまたま近くを通りがかったときに看板を見かけ、単なる興味本位で立ち寄ったのです。私はアブチラガマについて何の知識もないまま、中に入ってみることにしました。

近くにある南部観光総合案内センターで入場料200円を支払おうとしたとき、「懐中電灯は持っていますか?」と聞かれました。いいえと答えると100円で貸し出すとのこと。別に必要ないだろうと思い断ると、どうしても持って行くようしつこく薦めてくるので仕方なく借りることに。一緒に薦めてきたヘルメットは丁寧にお断りしました。















本「糸数アブチラガマ(糸数壕)」 - 現地の看板より引用。

 このガマは全長が約270mに及ぶ自然洞窟で、昭和19年7月頃から日本軍の陣地としての整備が始まった。
昭和20年3月23日本島南部が艦砲射撃を受け、翌24日から糸数住民約200名がこのガマへ避難した。その当時は日本軍の陣地・食料倉庫および糸数住民の避難壕として使用されていた。
 その後地上戦が激しくなり本島南部への危険が迫っていた4月下旬頃、南風原陸軍病院の分室として糸数アブチラガマが設定され、5月1日から約600名の患者が担送されてきた。このガマも危険になってきた5月下旬の撤退まで陸軍病院として使用された。病院の撤退後は重症患者が置き去りにされ、米軍からの攻撃もたびたび受け、悲惨を極めた地獄絵が展開された。しかし、このガマのお陰で生き延びた人達がいることも忘れてはならない事実である。
 このガマで亡くなられた方々の遺骨は、戦後糸数住民と関係者等により蒐集され、国立沖縄戦没者墓宛に合祀された。

案内センターの駐車場から100mほど歩いたところにアブチラガマの入口があります。目立たないので分かりにくいかも知れません。















受付の方に入場券を渡すと、受付名簿に名前を記入するよう言われます。それまでは普通の風景ですが、受付の方が私の書いた名前の横に「男性、身長約○○cm、年齢○○代程度、○○時○○分入場」と書き加えたのを見逃しませんでした。そのときは、何故そのようなことまで書き加えているのか分からなかったのですが、ガマの中に入ったとき、その理由が分かりました...

アブチラガマの入口はとても小さく、大人がやっと入れるかという程度です。















ガマの入口を進んでいくと、中から蒸し暑い熱気がこみ上げてきます。湿気が凄そうで、居心地はかなり悪かっただろうと思われます。















ガマの中に入ったとき、何故懐中電灯をしつこく薦めてきたのか、何故受付の方が名前の横に私の見た目の特徴を書き加えたのか、全ての理由が分かりました... 中は真っ暗で全く何も見えないのです!















ガマの中は一切照明がなく(照明設備はあるが点灯していない。)、私が受付で借りた小さな懐中電灯では足下を照らすのがやっとという状態で、とてもガマの全体像を見渡すことは出来ません。

何歩か進んでみたのですが、真っ暗闇の中で足下だけ心細く照らしているような状況なので、かなりの恐怖感に襲われます。写真撮影をするつもりではないのですが、デジカメのストロボを何度もたき、その灯りでガマの内部を確認していました。















あまりの恐怖感から汗が背中を伝っているのがはっきりと分かりました。内部の地図が書かれたパンフレットを持ってきてはいるのですが、自分が今どこに立っているのかが分からないので殆ど意味をなしません。暗闇の中でたまに見かける「順路」と書かれた看板だけを頼りに先へ進みます。

人間、こういう状況に置かれると悪い想像ばかり膨らむもので、「もし看板を見失ったらどうしよう?」「もし懐中電灯の電池が切れてしまったらどうしよう?」、と不安は広がるばかりです。一度引き返そうとしたのですが、さっき見たはずの順路の看板を見つけることが出来なかったため、無理に戻ると逆に迷子になってしまうのではないかと考え、そのまま先へ進むことにしました。


沖縄本島 糸数アブチラガマの場所はこちら。



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2007年07月18日

青っ!知念体育館裏

南城市知念にある知念体育館裏の景色です。天気が良かったので海が青くて綺麗でした。

!? 海の色はなぜいろいろ?

知念体育館裏














知念体育館裏














知念体育館裏
















特に何があるという訳ではないですが、日なたぼっこには最適です。


沖縄本島 知念体育館の場所はこちら。



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2007年06月10日

平成19年7月より入場料の徴収が始まる?

南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)ですが、平成19年7月より入場料の徴収が始まる予定があるとのことです。

南城市知念郵便局そばの道を約400mほど入ると、斉場御嶽への入口が見えてきます。入口には車が20台ほど停められる駐車場もあります。ただ、平成19年7月以降は入口が別の場所になっているかも知れません。斎場御嶽






















斉場御嶽に行くため、車を降りて200mほど歩きます。斎場御嶽






















斉場御嶽の詳細は観光パンフレットに任せるとして、ここが斉場御嶽のシンボルである三庫裏(さんぐーいー)です。三庫裏






















通りがかった方と比較すると、その大きさが分かるかと思います。三庫裏



































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