2007年12月28日
飛行機で粟国島へ!(その2)
前回は那覇空港から粟国島へ向かう機内の様子を書きましたが、今度は粟国空港から那覇へ向かう際の様子です。
前回の記事よりこちらからのほうが、操縦席の様子がよく分かるかと思います。

今度は機体の右側に慶良間諸島が見えます。

粟国便の飛行高度がどれくらいか、浅瀬を撮影したこの画像から想像出来ますでしょうか。

だんだん那覇空港に近づいてきました。

見えにくいかも知れませんが、機体の左手には瀬長島が見えます。

このあたりから大きく旋回を始めて....

滑走路の横側から斜めに進入していくような形で着陸していきます。那覇空港の滑走路が斜め向きに見えているのが分かるでしょうか。

滑走路への進入角が普通の飛行機と違いますので、初めて乗った方はだいたいこの辺りで驚きます。
今回の粟国ネタはこれしかありませんので、次回からはまた与那国ネタに戻ります。

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前回の記事よりこちらからのほうが、操縦席の様子がよく分かるかと思います。
今度は機体の右側に慶良間諸島が見えます。
粟国便の飛行高度がどれくらいか、浅瀬を撮影したこの画像から想像出来ますでしょうか。
だんだん那覇空港に近づいてきました。
見えにくいかも知れませんが、機体の左手には瀬長島が見えます。
このあたりから大きく旋回を始めて....
滑走路の横側から斜めに進入していくような形で着陸していきます。那覇空港の滑走路が斜め向きに見えているのが分かるでしょうか。
滑走路への進入角が普通の飛行機と違いますので、初めて乗った方はだいたいこの辺りで驚きます。
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タグ :琉球エアコミューター粟国村
2007年12月27日
飛行機で粟国島へ!(その1)
この間、フェリーあぐにの風景をお届けしたばかりなのですが、今度は飛行機で粟国島に行きましたので、空から見た粟国島の風景をお届けします。
粟国行きの飛行機はパイロットを含めて10人乗りです。このため機内はこの通り、あまり広くはありません。

飛行機の胴体だけに限っていえば、我が家のマイカーのほうが横幅はあるかと思います。
飛行機は那覇空港を飛び立ち、一路粟国島へ向かいます。左手に見えるのは慶良間諸島です。

慶良間諸島を左手に見ながら、飛行機は粟国島へ向かいます。

那覇空港から粟国島までの飛行時間は約25分です。

飛行高度がどのくらいなのかよく分からないのですが、雲の上までは行かない程度です。雲の下側を飛んでいるのが分かるでしょうか?

粟国島の筆ん崎が見えてきました。そろそろ着陸です!


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粟国行きの飛行機はパイロットを含めて10人乗りです。このため機内はこの通り、あまり広くはありません。
飛行機の胴体だけに限っていえば、我が家のマイカーのほうが横幅はあるかと思います。
飛行機は那覇空港を飛び立ち、一路粟国島へ向かいます。左手に見えるのは慶良間諸島です。
慶良間諸島を左手に見ながら、飛行機は粟国島へ向かいます。
那覇空港から粟国島までの飛行時間は約25分です。
飛行高度がどのくらいなのかよく分からないのですが、雲の上までは行かない程度です。雲の下側を飛んでいるのが分かるでしょうか?
粟国島の筆ん崎が見えてきました。そろそろ着陸です!

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2007年12月26日
2007年12月26日
2007年11月26日
粟国港で食べたソーキそば
これまで急ぎ足でかけずり回った粟国島ですが、フェリーの出航時刻が近づいてきましたので、粟国港へ向かうことにします。

粟国島のメインストリート?を通り、港へ向かいます。

粟国港旅客待合所に着きました。

お昼ご飯抜きで島をかけずり回っていたので、待合所の2階にあるみなと食堂に行きます。

みなと食堂のソーキそばです。出航まで時間がなかったので、大急ぎで食べました。

隣のみなと売店で粟国の塩の天日塩を発見!貴重品なので大量に購入しました。

粟国の塩(天日塩) - 製品ラベルの説明より。
エメラルド色の珊瑚礁の海から汲み上げた海水を高さ10メートルある採かんタワーに流す。内部には約15000本の竹枝をつるしてある。その上から竹に海水を流し、風と太陽熱で7日間、昼夜休み無く水分を蒸発させる。さらに耐久ガラスを用いた温室の中にて太陽熱でゆっくりと20日間(冬場は60日間)かけて結晶させたのち、脱水槽で4日間、乾燥に6日間(天候により変動する)、計37日かけて生まれる天日の塩です。20年かけた研究の末、誕生した塩です。
大急ぎの2日間でしたが、粟国島をあちこち見て回ることが出来たので良かったです。

しかし....
1泊2日の出来事を、ブログで約1ヶ月間に渡り記事にし続けたのは、ある意味凄いな俺、と思います... (汗)
みなと食堂の場所はこちら

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粟国島のメインストリート?を通り、港へ向かいます。
粟国港旅客待合所に着きました。
お昼ご飯抜きで島をかけずり回っていたので、待合所の2階にあるみなと食堂に行きます。
みなと食堂のソーキそばです。出航まで時間がなかったので、大急ぎで食べました。
隣のみなと売店で粟国の塩の天日塩を発見!貴重品なので大量に購入しました。
粟国の塩(天日塩) - 製品ラベルの説明より。エメラルド色の珊瑚礁の海から汲み上げた海水を高さ10メートルある採かんタワーに流す。内部には約15000本の竹枝をつるしてある。その上から竹に海水を流し、風と太陽熱で7日間、昼夜休み無く水分を蒸発させる。さらに耐久ガラスを用いた温室の中にて太陽熱でゆっくりと20日間(冬場は60日間)かけて結晶させたのち、脱水槽で4日間、乾燥に6日間(天候により変動する)、計37日かけて生まれる天日の塩です。20年かけた研究の末、誕生した塩です。
大急ぎの2日間でしたが、粟国島をあちこち見て回ることが出来たので良かったです。
しかし....
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2007年11月25日
粟国の塩ができるまで(その3)
>> 粟国の塩ができるまで(その1)はこちら。
>> 粟国の塩ができるまで(その2)はこちら。
釜炊き塩の施設を見学した後、続けて天日塩をつくるための温室へ移動しました。

天日塩をつくるための温室は3つありました。天日塩をつくる原理は簡単で、温室の中にかん水を置き、ひたすら結晶化するのを待つという仕組みです。作業員も時々様子を見にくる程度で、基本的に何もしないそうです。

結晶化するのを、ただひたすら待ちます....

結晶化した塩はこちら。こうなるまでに夏場で20日から30日、冬場は60日以上かかるそうです。

出来上がった塩の結晶を20日ほどかけて自然乾燥させると、天日塩が出来上がるそうです。
天日塩は出来上がるまでに時間がかかることや、天候に左右されるため量産は考えていないとのことです。温室を増やす予定はないのか訪ねたところ、今の作業員の数では完全に目が届かなくなる可能性があるため、予定なしとのことでした。

粟国の塩はとにかく品質を第一に考えているため流通量が少なく、皆さんの手元に届けることが出来ず申し訳ないとのことでした。しかし私は、品質にこだわるという言葉が聞けたので嬉しかったです。
>> 「粟国の塩」通信販売はこちらから。

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釜炊き塩の施設を見学した後、続けて天日塩をつくるための温室へ移動しました。
天日塩をつくるための温室は3つありました。天日塩をつくる原理は簡単で、温室の中にかん水を置き、ひたすら結晶化するのを待つという仕組みです。作業員も時々様子を見にくる程度で、基本的に何もしないそうです。
結晶化するのを、ただひたすら待ちます....
結晶化した塩はこちら。こうなるまでに夏場で20日から30日、冬場は60日以上かかるそうです。
出来上がった塩の結晶を20日ほどかけて自然乾燥させると、天日塩が出来上がるそうです。
天日塩は出来上がるまでに時間がかかることや、天候に左右されるため量産は考えていないとのことです。温室を増やす予定はないのか訪ねたところ、今の作業員の数では完全に目が届かなくなる可能性があるため、予定なしとのことでした。
粟国の塩はとにかく品質を第一に考えているため流通量が少なく、皆さんの手元に届けることが出来ず申し訳ないとのことでした。しかし私は、品質にこだわるという言葉が聞けたので嬉しかったです。
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2007年11月24日
粟国の塩ができるまで(その2)
>> 粟国の塩が出来るまで(その1)はこちら。
塩田タワーで出来上がった塩分濃度の高いかん水は、「釜炊き塩」用と「天日塩」用の2つに分けられ、それぞれの工程に進んでいきます。
「釜炊き塩」は、この部屋の中にある平釜でかん水を煮詰めて造られます。作業所にはこの建物が3つあり、3つの平釜で作業を行っていました。

塩田タワーで出来上がったかん水を平釜で約30時間ほど煮詰めます。火を扱っているため、建物の中は相当な暑さです。

平釜で薪を使ってかん水を煮詰めていきます。薪を使うことで塩の結晶に遠赤外線効果があり味に影響するらしいのですが、小さな島ですので木材を集めるのは一苦労だそうです。

かん水を煮詰めている間はずっとかき混ぜ続けなければいけないため、24時間交代で作業にあたっているとのことです。

約30時間ほど煮詰めると塩の結晶が出来上がってくるので、脱水槽に移して15日ほどかけ自然乾燥させると、釜炊き塩が出来上がるそうです。私が見学したときは煮詰めている途中でしたが、底の部分に少しだけ塩の結晶が出来ていました。

次はもう一つの工程である「天日塩」の施設を見学に行きます。(次に続く)

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塩田タワーで出来上がった塩分濃度の高いかん水は、「釜炊き塩」用と「天日塩」用の2つに分けられ、それぞれの工程に進んでいきます。
「釜炊き塩」は、この部屋の中にある平釜でかん水を煮詰めて造られます。作業所にはこの建物が3つあり、3つの平釜で作業を行っていました。
塩田タワーで出来上がったかん水を平釜で約30時間ほど煮詰めます。火を扱っているため、建物の中は相当な暑さです。
平釜で薪を使ってかん水を煮詰めていきます。薪を使うことで塩の結晶に遠赤外線効果があり味に影響するらしいのですが、小さな島ですので木材を集めるのは一苦労だそうです。
かん水を煮詰めている間はずっとかき混ぜ続けなければいけないため、24時間交代で作業にあたっているとのことです。
約30時間ほど煮詰めると塩の結晶が出来上がってくるので、脱水槽に移して15日ほどかけ自然乾燥させると、釜炊き塩が出来上がるそうです。私が見学したときは煮詰めている途中でしたが、底の部分に少しだけ塩の結晶が出来ていました。
次はもう一つの工程である「天日塩」の施設を見学に行きます。(次に続く)

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2007年11月23日
粟国の塩ができるまで(その1)
これまで粟国島のいろいろな場所を紹介してきましたが、やはりここを外す訳にはいきません。
粟国の塩を生産している、沖縄海塩研究所の作業所を見学してきました。

作業所は粟国島の北側にあり、島の南側にある集落から少し離れた場所にあります。作業所に近づくと、トレードマークの立体式塩田タワーが見えてきます。

作業所の見学は事務所の方で受け付けています。見学を申し込むとパンフレットと塩のサンプルを頂くことが出来、作業所内を一通り案内してくれます。
初めに案内されたのはトレードマークの立体式塩田タワーです。高さ約10メートルの建物に約16000本の竹をつるし、粟国島近海から汲み上げた海水を何度も循環させて水分を飛ばす作業を行っています。通常、海水に含まれる塩分濃度は約3パーセントと言われているそうですが、このタワー内を一週間ほど循環させて水分を飛ばしていくことで、濃度が7倍(約20パーセント)程に濃縮されたかん水が出来上がるとのことです。

何故、わざわざ塩分濃度の高いかん水を作っているのか聞いたところ、より良いミネラル成分が含まれた塩となること、海水1トン当たりから採取される塩の量が増えるため、作業効率が上がるからとのことでした。
2基の塩田タワーが休むことなく海水を循環させています。

塩田タワーは、近くで見ると結構大きいです。

塩田タワーは風通しが良くなるよう、穴あきブロックを積み上げて造られています。年中通して風が吹く場所を探し続け、ここに作業所を建築することに決めたのだそうです。塩田タワーは海のすぐそばに建てられていますので、この日も結構風が吹いていました。

塩田タワーの内部を見てみると、中に吊された竹の束を見ることが出来ます。

塩田タワーの中を海水が循環している様子です。床の方に溜まっている海水が、塩分濃度の上がったかん水です。(動画)
塩田タワーで出来上がったかん水は、次の工程に進んで行きます。(次に続く)
◇粟国の塩(天日塩250g)◇

沖縄海塩研究所の場所はこちら

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粟国の塩を生産している、沖縄海塩研究所の作業所を見学してきました。
作業所は粟国島の北側にあり、島の南側にある集落から少し離れた場所にあります。作業所に近づくと、トレードマークの立体式塩田タワーが見えてきます。
作業所の見学は事務所の方で受け付けています。見学を申し込むとパンフレットと塩のサンプルを頂くことが出来、作業所内を一通り案内してくれます。
初めに案内されたのはトレードマークの立体式塩田タワーです。高さ約10メートルの建物に約16000本の竹をつるし、粟国島近海から汲み上げた海水を何度も循環させて水分を飛ばす作業を行っています。通常、海水に含まれる塩分濃度は約3パーセントと言われているそうですが、このタワー内を一週間ほど循環させて水分を飛ばしていくことで、濃度が7倍(約20パーセント)程に濃縮されたかん水が出来上がるとのことです。
何故、わざわざ塩分濃度の高いかん水を作っているのか聞いたところ、より良いミネラル成分が含まれた塩となること、海水1トン当たりから採取される塩の量が増えるため、作業効率が上がるからとのことでした。
2基の塩田タワーが休むことなく海水を循環させています。
塩田タワーは、近くで見ると結構大きいです。
塩田タワーは風通しが良くなるよう、穴あきブロックを積み上げて造られています。年中通して風が吹く場所を探し続け、ここに作業所を建築することに決めたのだそうです。塩田タワーは海のすぐそばに建てられていますので、この日も結構風が吹いていました。
塩田タワーの内部を見てみると、中に吊された竹の束を見ることが出来ます。
塩田タワーの中を海水が循環している様子です。床の方に溜まっている海水が、塩分濃度の上がったかん水です。(動画)
塩田タワーで出来上がったかん水は、次の工程に進んで行きます。(次に続く)
◇粟国の塩(天日塩250g)◇
沖縄海塩研究所の場所はこちら
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2007年11月20日
洞寺の風景(その3)
>> 洞寺の風景(その1)はこちら。
>> 洞寺の風景(その2)はこちら。
今まで長々と紹介してきましたが、洞寺とはこういうところです。
洞寺の伝説 - 現地の看板より引用。
この洞寺は今から二百年ほど前、雲水(うんすい)和尚という僧侶が渡島して、この洞寺で読経三昧に過ごすうちに亡くなり作られたものとされ、和尚の頭の化石が今も祭られてる。伝説によると、雲水和尚は那覇の寺に在職中、他の寺の僧との問答を行い、雲水は仏の功徳によっては水面を下駄ばきで歩行出来るとの議論になった。問答は「首を切る」賭けにまで発展、二人は実行することになった。
雲水が呪文を唱えて水面に立ち、水鳥が水面に浮かぶように徐行し始めたので、他の僧は驚き、法力で彼の法術を破ろうと呪文を唱えだした。しばらくは読経の声が続いたが、奥武山に近づいた時、法術が破れたか、片足を水に突っ込み濡らしてしまい、賭けに負けてしまった。
しかし奥武山へあと一歩のところまで来たことで、首切りは許され粟国島への流刑となった。雲水は洞窟を見つけそこで暮らすうち、周辺の農民や青年を相手に遊びや話を通じて親しくなった。今でも和尚と親しくなった畑主の子孫らが洞窟祭りとして旧正月、九月には主として拝むようになっている。
「粟国村誌」より。
遊歩道から中に入る階段は、洞寺のちょうど中央部分に下りていくようになっています。

中に入ると、下りてきた階段から進行方向のまま進むコースと、Uターンして逆方向に進むコースの2つの通路があります。
ちなみに進行方向をそのまま進むコースは、また階段が続くのですが....

うわ、下は真っ暗じゃないか! これを下りろというのか! 糸数アブチラガマ以来の恐怖に襲われます!
>> 糸数アブチラガマで平和について考える(その1)はこちら。
>> 糸数アブチラガマで平和について考える(その2)はこちら。
さすがにこれは怖いよ... と躊躇していたところ、足下のセンサーがパチッと反応して、階段の向こう側がみるみる明るくなっていきます。

しまいにはカラーボールみたいなものがクルクル回り始めました。さっきまでの恐怖が嘘のようです。

早速、階段を下りてみます。

5メートル以上は下りたかと思います。

奥へは10メートル程度しか進めませんでしたが、それでも見応えのある風景が広がります。

次に洞寺の入り口からUターンして逆方向に進むコースへ行ってみます。

こちらのコースも見応えのある風景が広がります。

通路を進むにつれ、足下のセンサーが反応してカラーボールが回りだします。

こちらのコースは30メートル以上進んだかと思います。

所々、岩の割れ目から光が差し込んでおり、神秘的な雰囲気を醸し出しています。

コースの奥の方まで行くと、鍾乳洞さながらの風景が広がっています。

コースのあちこちで、様々な岩の表情を見ることが出来ます。

洞寺の通路は滑りやすいところがありますので、行かれる方は足下にご注意下さい。


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>> 洞寺の風景(その2)はこちら。
今まで長々と紹介してきましたが、洞寺とはこういうところです。
洞寺の伝説 - 現地の看板より引用。この洞寺は今から二百年ほど前、雲水(うんすい)和尚という僧侶が渡島して、この洞寺で読経三昧に過ごすうちに亡くなり作られたものとされ、和尚の頭の化石が今も祭られてる。伝説によると、雲水和尚は那覇の寺に在職中、他の寺の僧との問答を行い、雲水は仏の功徳によっては水面を下駄ばきで歩行出来るとの議論になった。問答は「首を切る」賭けにまで発展、二人は実行することになった。
雲水が呪文を唱えて水面に立ち、水鳥が水面に浮かぶように徐行し始めたので、他の僧は驚き、法力で彼の法術を破ろうと呪文を唱えだした。しばらくは読経の声が続いたが、奥武山に近づいた時、法術が破れたか、片足を水に突っ込み濡らしてしまい、賭けに負けてしまった。
しかし奥武山へあと一歩のところまで来たことで、首切りは許され粟国島への流刑となった。雲水は洞窟を見つけそこで暮らすうち、周辺の農民や青年を相手に遊びや話を通じて親しくなった。今でも和尚と親しくなった畑主の子孫らが洞窟祭りとして旧正月、九月には主として拝むようになっている。
「粟国村誌」より。
遊歩道から中に入る階段は、洞寺のちょうど中央部分に下りていくようになっています。
中に入ると、下りてきた階段から進行方向のまま進むコースと、Uターンして逆方向に進むコースの2つの通路があります。
ちなみに進行方向をそのまま進むコースは、また階段が続くのですが....
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さすがにこれは怖いよ... と躊躇していたところ、足下のセンサーがパチッと反応して、階段の向こう側がみるみる明るくなっていきます。
しまいにはカラーボールみたいなものがクルクル回り始めました。さっきまでの恐怖が嘘のようです。
早速、階段を下りてみます。
5メートル以上は下りたかと思います。
奥へは10メートル程度しか進めませんでしたが、それでも見応えのある風景が広がります。
次に洞寺の入り口からUターンして逆方向に進むコースへ行ってみます。
こちらのコースも見応えのある風景が広がります。
通路を進むにつれ、足下のセンサーが反応してカラーボールが回りだします。
こちらのコースは30メートル以上進んだかと思います。
所々、岩の割れ目から光が差し込んでおり、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
コースの奥の方まで行くと、鍾乳洞さながらの風景が広がっています。
コースのあちこちで、様々な岩の表情を見ることが出来ます。
洞寺の通路は滑りやすいところがありますので、行かれる方は足下にご注意下さい。

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2007年11月19日
洞寺の風景(その2)
>> 洞寺の風景(その1)はこちら。
行き止まりのように見えた洞寺の入り口ですが、突き当たりまで進んでみると、左手に小さな階段がありました。

階段を下りて奥へ進んでみます。

周りに人の気配がないので、少し気味が悪いです。

海が近いこともあり、結構風が吹いています。そのたびに木の枝がガサガサ鳴るので、心細くなってきます。

階段を下りて50メートルほど進んだところで、遊歩道が左側に大きく曲がっています。

左側に曲がった遊歩道が、洞窟らしき岩の割れ目に吸い込まれていくのが見えます。こんなところに洞窟があったなんて....

階段を下りてみます。ちょっとドキドキです。

洞窟の中に入りました!

さて、洞窟の中には何があるのか.... (次に続く)

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行き止まりのように見えた洞寺の入り口ですが、突き当たりまで進んでみると、左手に小さな階段がありました。
階段を下りて奥へ進んでみます。
周りに人の気配がないので、少し気味が悪いです。
海が近いこともあり、結構風が吹いています。そのたびに木の枝がガサガサ鳴るので、心細くなってきます。
階段を下りて50メートルほど進んだところで、遊歩道が左側に大きく曲がっています。
左側に曲がった遊歩道が、洞窟らしき岩の割れ目に吸い込まれていくのが見えます。こんなところに洞窟があったなんて....
階段を下りてみます。ちょっとドキドキです。
洞窟の中に入りました!
さて、洞窟の中には何があるのか.... (次に続く)

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2007年11月18日
洞寺の風景(その1)
粟国島の北側にあるむんじゅる節之碑の隣は、洞寺(てら)の入口となっています。入口の後ろ側に見えるのがむんじゅる節之碑です。

洞寺へ向かう道には手作りの案内板が備え付けられています。

洞寺に向かう途中、放し飼いの山羊の群れとばったり!山羊も私もお互いビックリ。

山羊は大慌てで逃げていきます!

洞寺の入り口に着きました。

入口をくぐり洞寺に向かってみます。何だかわくわくしてきました。

気のせいか、行き止まりのように見えるのですが....

さて、洞寺には辿り着けるのか.... (次に続く)
洞寺の場所はこちら

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洞寺へ向かう道には手作りの案内板が備え付けられています。
洞寺に向かう途中、放し飼いの山羊の群れとばったり!山羊も私もお互いビックリ。
山羊は大慌てで逃げていきます!
洞寺の入り口に着きました。
入口をくぐり洞寺に向かってみます。何だかわくわくしてきました。
気のせいか、行き止まりのように見えるのですが....
さて、洞寺には辿り着けるのか.... (次に続く)
洞寺の場所はこちら
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2007年11月15日
むんじゅる節之碑の風景
粟国島の北側にある洞寺の近くに、むんじゅる節之碑がありました。

むんじゅる節は粟国島の代表的な島唄とのことです。

むんじゅる節之碑 - 現地の碑文より引用
むんじゅる節の発祥地である粟国島では、古くから島唄として照喜名節、別名さがや節、糸喜名節が歌い継がれてきている。明治中期頃、仲毛芝居の地謡の一人が粟国島で照喜名節を習い、名優玉城盛重翁により雑踊りとして創作振り付けられ、清楚で優雅な踊りが好評を博し今日に至っている。歌は舞踊化された時に曲名、歌詞の一部、順番が変更されている。
照喜名節は次の通りである。
一.照喜名ちぢからよううなや むんじゅる平笠かぶるなよ 津波古ぬ主ぬ前がなうち惚りゆんど
二.むんじゅる平笠ちゅらむぬや 女童まちぢに
三.芋ぬうまさや唐かんだ 米ぬうまさや畑米 神酒ちゅくてぃぬうまさや 白へぇ唐かんだ
歌は若者達の憧れである、むんじゅる平笠をかぶった純情清純な乙女に、役人の津波古某が惚れ込んでしまうという内容を中心に、島の素朴な生活の様子が歌われ、昔の故里が偲ばれ意義深いものがある。
この歌碑は、先人が歌いあげた名歌を島の文化遺産として永遠に称え継承していくために、村内外の皆様のご協力により実現した。
歌碑建立により伝統芸能と粟国村の更なる発展に寄与することを祈念するものである。
むんじゅる節之碑の場所はこちら

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むんじゅる節は粟国島の代表的な島唄とのことです。
むんじゅる節之碑 - 現地の碑文より引用むんじゅる節の発祥地である粟国島では、古くから島唄として照喜名節、別名さがや節、糸喜名節が歌い継がれてきている。明治中期頃、仲毛芝居の地謡の一人が粟国島で照喜名節を習い、名優玉城盛重翁により雑踊りとして創作振り付けられ、清楚で優雅な踊りが好評を博し今日に至っている。歌は舞踊化された時に曲名、歌詞の一部、順番が変更されている。
照喜名節は次の通りである。
一.照喜名ちぢからよううなや むんじゅる平笠かぶるなよ 津波古ぬ主ぬ前がなうち惚りゆんど
二.むんじゅる平笠ちゅらむぬや 女童まちぢに
三.芋ぬうまさや唐かんだ 米ぬうまさや畑米 神酒ちゅくてぃぬうまさや 白へぇ唐かんだ
歌は若者達の憧れである、むんじゅる平笠をかぶった純情清純な乙女に、役人の津波古某が惚れ込んでしまうという内容を中心に、島の素朴な生活の様子が歌われ、昔の故里が偲ばれ意義深いものがある。
この歌碑は、先人が歌いあげた名歌を島の文化遺産として永遠に称え継承していくために、村内外の皆様のご協力により実現した。
歌碑建立により伝統芸能と粟国村の更なる発展に寄与することを祈念するものである。
むんじゅる節之碑の場所はこちら
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2007年11月13日
トゥージのある風景
例えば南大東島の場合、明治33年に島へ上陸した一団が開拓を決意したのは、島にある大池を発見して水の確保に目処がついたからだと言われています。島で生きていくためには、水の確保はそれだけ重要なことでした。
粟国島の場合、今でこそため池や水タンクの整備が進んでいるのですが、元々水の乏しい島であったため、つい最近まで水の確保には本当に苦労したとのことです。
そのため、今も島のあちこちでトゥージと呼ばれる石で出来た水瓶を見ることが出来ます。

もう飲料用として使われることはないそうですが、今でも農業用として大事にされています。昔は大きなトゥージを持つ家ほどお金持ちとされていたそうです。

まあ、今ではオブジェと化したトゥージもありますが。

殆どのトゥージは島の西海岸にある凝灰岩をくり抜いて作られているため、表面が白っぽく見えるものが多いそうです。
まあ、このトゥージは表面に何か塗ったのではないか、と思うのですが。

今でも大事にされているトゥージは、粟国島の水の歴史を物語っているかのようです。


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粟国島の場合、今でこそため池や水タンクの整備が進んでいるのですが、元々水の乏しい島であったため、つい最近まで水の確保には本当に苦労したとのことです。
そのため、今も島のあちこちでトゥージと呼ばれる石で出来た水瓶を見ることが出来ます。
もう飲料用として使われることはないそうですが、今でも農業用として大事にされています。昔は大きなトゥージを持つ家ほどお金持ちとされていたそうです。
まあ、今ではオブジェと化したトゥージもありますが。
殆どのトゥージは島の西海岸にある凝灰岩をくり抜いて作られているため、表面が白っぽく見えるものが多いそうです。
まあ、このトゥージは表面に何か塗ったのではないか、と思うのですが。
今でも大事にされているトゥージは、粟国島の水の歴史を物語っているかのようです。

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2007年11月12日
ヤマトゥガーの風景
島で暮らす方々にとって、常に気になるのは水の事ではないかと思います。
昔から水で苦労してきた粟国島ですが、島の南側にあるヤマトゥガーには真水の沸く泉があり、そこから流れる地下水を貯水タンクに貯め、貴重な水源として大事に活用していたとのことです。

ヤマトゥガーへ行く道だけは案内板がなかったため、観光パンフレットを片手にそれらしい道を進んでいきます。
多分ここではないかと思って進んできた道はかなりの急勾配で、これは帰りは一苦労だなと思いつつ先を進んで行くと....
あ...、行き止まりだ。

この急勾配の坂を戻らないと行けないのかと思うと、疲れがどっと出てきました。
でもこの行き止まりの道ですが、よく見ると左側の側溝が欠けているように見えます。駄目もとで草むらの中に入っていくと.... あ、手すりらしき物が見える。

これは奥に何かあるぞと思い、草むらを掻き分けて中を進んでいくと、ヤマトゥガー入口を見つけることが出来ました。
草が生い茂ってしまったため、道が探しにくかった訳ですね。

ヤマトゥガーの入口ですが、高さ5メートル以上はありそうな岩がちょうど1メートルほどの幅に裂けていて、人が一人通れる程の道になっていました。岩が裂けた箇所から上を眺めても、その岩がかなりの高さであることが分かるのではないでしょうか。

規模は違いますが、昔似たような場所に行ったことがあるなあ。
>> バリバリ岩は動く島の証明書
裂けた岩の入口を抜けると、島の南側の海岸に降り立ちます。
今は使われていないようですが、ヤマトゥガーの泉から流れる地下水を貯めていた貯水タンク跡が見えます。
またその向こう側には、島の最西端にあたる筆ん崎が見えています。

貯水タンク跡の側からヤマトゥガーを眺めてみます。

海岸線の脇の方に、貯水タンクの水を集落まで吸い上げていたポンプ小屋の跡が残っています。

今は使われていませんが、当時の島の方々にとっては本当に有り難い施設だったと思います。

ヤマトゥガーの場所はこちら

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昔から水で苦労してきた粟国島ですが、島の南側にあるヤマトゥガーには真水の沸く泉があり、そこから流れる地下水を貯水タンクに貯め、貴重な水源として大事に活用していたとのことです。
ヤマトゥガーへ行く道だけは案内板がなかったため、観光パンフレットを片手にそれらしい道を進んでいきます。
多分ここではないかと思って進んできた道はかなりの急勾配で、これは帰りは一苦労だなと思いつつ先を進んで行くと....
あ...、行き止まりだ。
この急勾配の坂を戻らないと行けないのかと思うと、疲れがどっと出てきました。
でもこの行き止まりの道ですが、よく見ると左側の側溝が欠けているように見えます。駄目もとで草むらの中に入っていくと.... あ、手すりらしき物が見える。
これは奥に何かあるぞと思い、草むらを掻き分けて中を進んでいくと、ヤマトゥガー入口を見つけることが出来ました。
草が生い茂ってしまったため、道が探しにくかった訳ですね。
ヤマトゥガーの入口ですが、高さ5メートル以上はありそうな岩がちょうど1メートルほどの幅に裂けていて、人が一人通れる程の道になっていました。岩が裂けた箇所から上を眺めても、その岩がかなりの高さであることが分かるのではないでしょうか。
規模は違いますが、昔似たような場所に行ったことがあるなあ。
>> バリバリ岩は動く島の証明書
裂けた岩の入口を抜けると、島の南側の海岸に降り立ちます。
今は使われていないようですが、ヤマトゥガーの泉から流れる地下水を貯めていた貯水タンク跡が見えます。
またその向こう側には、島の最西端にあたる筆ん崎が見えています。
貯水タンク跡の側からヤマトゥガーを眺めてみます。
海岸線の脇の方に、貯水タンクの水を集落まで吸い上げていたポンプ小屋の跡が残っています。
今は使われていませんが、当時の島の方々にとっては本当に有り難い施設だったと思います。
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2007年11月10日
大正池公園の風景
西地区の御願の植物群落のちょうど道向かいに、大正池公園の入口があります。

看板の示す方角へ草を掻き分けて入っていくと、大正池公園の遊歩道が見えてきました。

大正天皇即位記念事業として大正4年に池が完成、その後遊歩道が整備され大正池公園となったのだそうです。

赤い橋の近辺を見たときはこんなものかと思ったのですが、何となく遊歩道の階段を上ってみると、意外と奥まで道が続いているのでびっくりしました。

遊歩道が何処まで続くのか歩いてみます。

遊歩道が予想外の長さなのには驚いてしまいました。

遊歩道は高台の方角に向かっています。

高台をのぼっていくと小さな展望台がありました。

展望台から粟国島の集落が一望出来ます。左下に見えるのは先ほど見かけた大正池です。

粟国島は今日もゆったりとした時間が流れています。

大正池公園の場所はこちら

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看板の示す方角へ草を掻き分けて入っていくと、大正池公園の遊歩道が見えてきました。
大正天皇即位記念事業として大正4年に池が完成、その後遊歩道が整備され大正池公園となったのだそうです。
赤い橋の近辺を見たときはこんなものかと思ったのですが、何となく遊歩道の階段を上ってみると、意外と奥まで道が続いているのでびっくりしました。
遊歩道が何処まで続くのか歩いてみます。
遊歩道が予想外の長さなのには驚いてしまいました。
遊歩道は高台の方角に向かっています。
高台をのぼっていくと小さな展望台がありました。
展望台から粟国島の集落が一望出来ます。左下に見えるのは先ほど見かけた大正池です。
粟国島は今日もゆったりとした時間が流れています。
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2007年11月08日
筆ん崎の風景
粟国島に向かうフェリーあぐにから見えた断崖絶壁の筆ん崎には、マハナ展望台と呼ばれる眺めの綺麗な場所があります。

フェリーあぐにから見えた筆ん崎は海抜約90メートルの断崖絶壁で、マハナ展望台はその崖の上にあります。筆ん崎の周辺には厚い白色の凝石灰が数多く見られ、ここが数万年前まで霧島火山帯に属する火山の島であったことを物語っています。

筆ん崎の崖の上は番屋原の広場と呼ばれ、島で最も見晴らしの良い場所として粟国村指定の景勝地となっています。

番屋原の広場の景勝地(粟国村指定名勝) - 現地の看板より引用。
番屋原の広場とは島の南西端の筆ん崎(マハナとも言う)一帯を言い、島で最も見晴らしの良い場所です。番屋原とは、この広場周辺の原名です。
この広場は凝灰岩上にあり標高約87メートルで、東方向と北方向は高さ約数10メートルの崖が続き、特に東方向(墓地付近)には島の成り立ちが分かる見事な地層が見られます。北東方向には集落や空港、港、牧場などが広がり、南西方向には久米島、南方には渡名喜島、慶良間諸島、東方には沖縄本島や伊江島などが見えます。
この地域の木などは風が強く草原に似た環境のため、低い木として生えています。
またこの広場の北海岸には、渡名喜村の入砂島の島建てに関わるイメージ伝説と関係の深い場所があります。
昭和59年9月14日 指定
筆ん崎の先端部分まで移動して振り返ってみます。マハナ展望台や風力発電施設が見えます。

結構大きな広場です。

広場のあちこちで凝石灰と思われる白色の岩が見られます。

マハナ展望台から港の方角を眺めてみます。この付近の海は知る人ぞ知るダイビングスポットだそうで、毎年多くのダイバーがここを目的に島を訪れるとのことです。

筆ん崎の場所はこちら

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フェリーあぐにから見えた筆ん崎は海抜約90メートルの断崖絶壁で、マハナ展望台はその崖の上にあります。筆ん崎の周辺には厚い白色の凝石灰が数多く見られ、ここが数万年前まで霧島火山帯に属する火山の島であったことを物語っています。
筆ん崎の崖の上は番屋原の広場と呼ばれ、島で最も見晴らしの良い場所として粟国村指定の景勝地となっています。
番屋原の広場の景勝地(粟国村指定名勝) - 現地の看板より引用。番屋原の広場とは島の南西端の筆ん崎(マハナとも言う)一帯を言い、島で最も見晴らしの良い場所です。番屋原とは、この広場周辺の原名です。
この広場は凝灰岩上にあり標高約87メートルで、東方向と北方向は高さ約数10メートルの崖が続き、特に東方向(墓地付近)には島の成り立ちが分かる見事な地層が見られます。北東方向には集落や空港、港、牧場などが広がり、南西方向には久米島、南方には渡名喜島、慶良間諸島、東方には沖縄本島や伊江島などが見えます。
この地域の木などは風が強く草原に似た環境のため、低い木として生えています。
またこの広場の北海岸には、渡名喜村の入砂島の島建てに関わるイメージ伝説と関係の深い場所があります。
昭和59年9月14日 指定
筆ん崎の先端部分まで移動して振り返ってみます。マハナ展望台や風力発電施設が見えます。
結構大きな広場です。
広場のあちこちで凝石灰と思われる白色の岩が見られます。
マハナ展望台から港の方角を眺めてみます。この付近の海は知る人ぞ知るダイビングスポットだそうで、毎年多くのダイバーがここを目的に島を訪れるとのことです。
筆ん崎の場所はこちら
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2007年11月07日
番屋跡の風景
シマイ御嶽のイタジイの木から粟国島最西端の筆ん崎を目指して移動すると、その途中番屋跡を見ることが出来ます。

史跡 番屋跡(遠見台) - 現地の看板より引用
この場所は島で一番高い海抜96メートルの高台にあり、昔は番屋遠見台として異国船等が近海を通るときに、近くのヒータティヤーからタイマツで狼煙をあげ、慶良間諸島に告げ首里王府に知らせたという。
昭和59年9月14日 指定
指定者 粟国村教育委員会
石垣の上に登ってみたかったのですが、裏に回っても雑草が生い茂っているため近づくことが出来ず、番屋跡からの景色を楽しむことは出来ませんでした。ちなみに番屋跡のそばから港付近を眺めた風景はこちら。

番屋跡の場所はこちら

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史跡 番屋跡(遠見台) - 現地の看板より引用この場所は島で一番高い海抜96メートルの高台にあり、昔は番屋遠見台として異国船等が近海を通るときに、近くのヒータティヤーからタイマツで狼煙をあげ、慶良間諸島に告げ首里王府に知らせたという。
昭和59年9月14日 指定
指定者 粟国村教育委員会
石垣の上に登ってみたかったのですが、裏に回っても雑草が生い茂っているため近づくことが出来ず、番屋跡からの景色を楽しむことは出来ませんでした。ちなみに番屋跡のそばから港付近を眺めた風景はこちら。
番屋跡の場所はこちら
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タグ :番屋跡


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飛行機に乗る前に測ります。他の人から見えないよう、体重計のはかりのところに手作りのカバーがかかってます。(笑)