2007年08月31日
南大東漁港の大きさにビックリ!
南大東島の北側に、全国でも珍しい掘り込み式工法で作られた南大東漁港があります。

島の陸上部分をダイナマイトを使って掘削、岩場をえぐり取るような形で人工的な湾を造りだしています。島の海底地形が急に深くなっており通常の埋め立て工法が困難であるとして、このような方法が採用されたそうです。

しかしその規模には驚かされます。これだけの大きさをえぐり取るのは相当な作業であっただろうと思います。

南大東の漁船は岸壁に停泊するのではなく、専用のクレーンで陸揚げされ所定の場所に固定されます。車庫ならぬ"船庫"というところでしょうか。

今後は冷凍施設などを整備していく予定とのことです。

南大東漁港の場所はこちら
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島の陸上部分をダイナマイトを使って掘削、岩場をえぐり取るような形で人工的な湾を造りだしています。島の海底地形が急に深くなっており通常の埋め立て工法が困難であるとして、このような方法が採用されたそうです。
しかしその規模には驚かされます。これだけの大きさをえぐり取るのは相当な作業であっただろうと思います。
南大東の漁船は岸壁に停泊するのではなく、専用のクレーンで陸揚げされ所定の場所に固定されます。車庫ならぬ"船庫"というところでしょうか。
今後は冷凍施設などを整備していく予定とのことです。
南大東漁港の場所はこちら
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月29日
バリバリ岩は動く島の証明書
本場海岸の近くにバリバリ岩と呼ばれる岩山の裂け目があります。この裂け目は南大東島が今でも年間7センチづつ北東に移動していることが原因で出来上がっているのだそうです。

草をかき分けて裂け目の中を歩いていくと、だんだんと裂け目が深くなっていくのが分かります。

そのうち日当たりも悪くなってきて、只でさえ物音一つしない静かな場所なので、だんだん気味が悪くなってきます。

裂け目の高さは3mほどはあると思います。あまりの高さなので、うまく撮影することが出来ませんでした。

今回は時間切れのため、これ以上奥に進むことは出来ませんでした。聞いたところでは、その奥は更に裂け目が深くなっていて、最後は洞窟の入口のようなところにたどり着くのだそうです。そこは殆ど日が当たらないらしく、懐中電灯などを持参したほうが良いとのことでした。またここは戦争中、弾薬庫として利用されていたこともあるそうです。
しかし年間7センチというのはかなりの移動距離だと思うのですが... 何百年か後、南大東島は今とは全然別の場所に存在しているのでしょうか?
バリバリ岩の場所はこちら
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草をかき分けて裂け目の中を歩いていくと、だんだんと裂け目が深くなっていくのが分かります。
そのうち日当たりも悪くなってきて、只でさえ物音一つしない静かな場所なので、だんだん気味が悪くなってきます。
裂け目の高さは3mほどはあると思います。あまりの高さなので、うまく撮影することが出来ませんでした。
今回は時間切れのため、これ以上奥に進むことは出来ませんでした。聞いたところでは、その奥は更に裂け目が深くなっていて、最後は洞窟の入口のようなところにたどり着くのだそうです。そこは殆ど日が当たらないらしく、懐中電灯などを持参したほうが良いとのことでした。またここは戦争中、弾薬庫として利用されていたこともあるそうです。
しかし年間7センチというのはかなりの移動距離だと思うのですが... 何百年か後、南大東島は今とは全然別の場所に存在しているのでしょうか?
バリバリ岩の場所はこちら
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月28日
本場海岸へ寄り道してみる
南大東空港に着いた後、島の中心部に向かうつもりでしたが、少し寄り道して本場海岸に行ってました。

海岸とは言っても、海岸線まで階段で3メートルほど下るだけの場所です。砂浜はありません。

階段を上から見たところです。向こうに見えるのは北大東島です。

階段の上から海岸線を眺めたところです。この日は波が高かったのですが、波が穏やかな日はシュノーケリングが楽しめるそうです。但しリーフの外側は潮の流れが速く、場合によっては鮫と対面する可能性もあるとのことですので、注意して下さい。

南大東島と北大東島は最短で僅か10kmしか離れていないのですが、両島の間は3、000m近い海溝になっているそうです。すぐ目の前の島という感じですが驚きです。

本場海岸の場所はこちら
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海岸とは言っても、海岸線まで階段で3メートルほど下るだけの場所です。砂浜はありません。
階段を上から見たところです。向こうに見えるのは北大東島です。
階段の上から海岸線を眺めたところです。この日は波が高かったのですが、波が穏やかな日はシュノーケリングが楽しめるそうです。但しリーフの外側は潮の流れが速く、場合によっては鮫と対面する可能性もあるとのことですので、注意して下さい。
南大東島と北大東島は最短で僅か10kmしか離れていないのですが、両島の間は3、000m近い海溝になっているそうです。すぐ目の前の島という感じですが驚きです。
本場海岸の場所はこちら
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月27日
南大東島へ到着!
突然ですが、南大東島に行ってきました。

約一年ぶりの南大東島です。今回、初めて50人乗りのDHC-8-300に乗りました。

飛行機が島に到着したときは雲行きが怪しかったのですが、荷物を受け取って外に出た頃には、日差しが眩しすぎて目を細めなければならない程でした。

南大東空港を出ると、様々な言葉で出迎えてくれます。

さて、これから島の中心部へ移動です。

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約一年ぶりの南大東島です。今回、初めて50人乗りのDHC-8-300に乗りました。
飛行機が島に到着したときは雲行きが怪しかったのですが、荷物を受け取って外に出た頃には、日差しが眩しすぎて目を細めなければならない程でした。
南大東空港を出ると、様々な言葉で出迎えてくれます。
さて、これから島の中心部へ移動です。
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2007年08月26日
ぬちまーすの工場見学!(その2)
ぬちまーすの製造施設「ぬちうなー」の二階に上がると、ぬちまーすや関連商品を販売しているぬちまーすショップと、ぬちまーすを使用した料理が味わえるぬちまーすカフェ「たかはなり」がありました。

これがぬちまーすです。

ぬちまーすのワンタッチキャップ型もありました。

ぬちまーすが含まれた海塩石鹸とのことです。「ぬちまーす入り」「石垣の塩入り」「宮古の雪塩入り」「もずく入り」「インドのニーム入り」の5種類が販売されていました。

和歌山産の梅をぬちまーすで漬けた「ぬち梅」です。

添加物を一切使用していない、ぬちまーす入り「ぬち味噌」です。

ぬちまーすで作ったオリジナル塩アイス「ぬちまーすジェラート」です。

ぬちまーす入り化粧水「シルクソルト」です。

「ぬちまーす入りもろみ酢」です。「ぬちまーす入り黒糖もろみ酢」もありました。

「ぬちまーす入り落花生おしるこ」と、「ぬちまーす入りトマトジュース」です。

ぬちまーすカフェ「たかはなり」の中はこんな雰囲気です。

テラスもありました。天気のいい日は海を眺めながら食事というのもいいのではないでしょうか。

ちなみに、ぬちまーすショップ内で缶コーヒーを買ったのですが、しっかりとぬちまーすがPRされていました。うーん、ぬかりないです。

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これがぬちまーすです。
ぬちまーすのワンタッチキャップ型もありました。
ぬちまーすが含まれた海塩石鹸とのことです。「ぬちまーす入り」「石垣の塩入り」「宮古の雪塩入り」「もずく入り」「インドのニーム入り」の5種類が販売されていました。
和歌山産の梅をぬちまーすで漬けた「ぬち梅」です。
添加物を一切使用していない、ぬちまーす入り「ぬち味噌」です。
ぬちまーすで作ったオリジナル塩アイス「ぬちまーすジェラート」です。
ぬちまーす入り化粧水「シルクソルト」です。
「ぬちまーす入りもろみ酢」です。「ぬちまーす入り黒糖もろみ酢」もありました。
「ぬちまーす入り落花生おしるこ」と、「ぬちまーす入りトマトジュース」です。
ぬちまーすカフェ「たかはなり」の中はこんな雰囲気です。
テラスもありました。天気のいい日は海を眺めながら食事というのもいいのではないでしょうか。
ちなみに、ぬちまーすショップ内で缶コーヒーを買ったのですが、しっかりとぬちまーすがPRされていました。うーん、ぬかりないです。
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月25日
ぬちまーすの工場見学!(その1)
沖縄本島中部の海中道路を通って伊計島に向かっていたときのこと。宮城島を通っている途中で見慣れない看板を見かけました。

看板の指示に従って脇道を進んでいくと、目の前に大きな建物が現れてきました。

かなり大きな建物なのですが、初めはそれが何の施設なのかよく分かりませんでした。

建物の入り口に観光客らしき人影が見えたので、私も中に入ってみることにしました。

中に入ると、入口のすぐそばに受付の方が立っており、そこで初めてここがぬちまーすの製造施設「ぬちうなー」であることを知りました。受付の方が施設内を案内してくださったのですが、お洒落な建物なのでとても塩工場だとは思えませんでした。

この施設がオープンしたのは2007年6月で、内部では既に塩造りが始まっているのだが、まだ一部完成していない設備もあるとのことでした。下の写真にある窓の向こう側で塩造りが行なわれているとのことでしたが、部屋の温度が約50度に設定されているため、窓ガラスが曇りがちで中の様子をうまく撮影することが出来ませんでした。
窓の向こうでは「常温瞬間空中結晶製塩法」という世界初の方法で塩造りが行われているとのことで、海水を霧状に噴霧し、それに温風を当てることで海水中のミネラル成分を全て瞬間的に結晶化、じっくりと乾燥させることでフワフワの雪のような塩が出来上がるとのことです。

宮城島沖の海水からこのような塩が造られていたとは... 正直初めて知りました。ちなみにこのぬちまーす、ミネラル成分含有量世界一として、ギネスブックに認定されているそうです。

ぬちうなーの場所はこちら。
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看板の指示に従って脇道を進んでいくと、目の前に大きな建物が現れてきました。
かなり大きな建物なのですが、初めはそれが何の施設なのかよく分かりませんでした。
建物の入り口に観光客らしき人影が見えたので、私も中に入ってみることにしました。
中に入ると、入口のすぐそばに受付の方が立っており、そこで初めてここがぬちまーすの製造施設「ぬちうなー」であることを知りました。受付の方が施設内を案内してくださったのですが、お洒落な建物なのでとても塩工場だとは思えませんでした。
この施設がオープンしたのは2007年6月で、内部では既に塩造りが始まっているのだが、まだ一部完成していない設備もあるとのことでした。下の写真にある窓の向こう側で塩造りが行なわれているとのことでしたが、部屋の温度が約50度に設定されているため、窓ガラスが曇りがちで中の様子をうまく撮影することが出来ませんでした。
窓の向こうでは「常温瞬間空中結晶製塩法」という世界初の方法で塩造りが行われているとのことで、海水を霧状に噴霧し、それに温風を当てることで海水中のミネラル成分を全て瞬間的に結晶化、じっくりと乾燥させることでフワフワの雪のような塩が出来上がるとのことです。
宮城島沖の海水からこのような塩が造られていたとは... 正直初めて知りました。ちなみにこのぬちまーす、ミネラル成分含有量世界一として、ギネスブックに認定されているそうです。
ぬちうなーの場所はこちら。
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月24日
あっ!(その2)
沖縄の風景とは全く関係ない話ですが、このブログの5000番目の閲覧者も私でした!わざとやった訳ではないのですが...

おまけに777という数字まで見えてるし... 何かのお告げかも知れない。
宝くじの発売はまだかっ!
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おまけに777という数字まで見えてるし... 何かのお告げかも知れない。
宝くじの発売はまだかっ!
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月20日
具志堅の樋川も見つけたよ
仲村渠樋川、垣花樋川と続いたあと、もう一つ具志堅の樋川(かー)も見つけましたので紹介します。
具志堅の樋川は国道331号線沿いにあり、具志堅集落を車で走っていると見ることが出来ます。作りが沖縄のお墓に似ているので、パッと見たときは道沿いにお墓があるものと勘違いしてしまいました。

「史跡 具志堅の樋川(カー)」 - 現地の看板より引用。
知念大川を水源とするこの樋川(カー)は、昭和4年に字住民の手で築造された総粟造りの堅固なものである。正面に3個の吐水口と洗濯場、右側に沐浴場のある立派な造りで、住民生活に欠かせない貴重な場所であった。
- 平成14年8月19日 知念村(市町村合併により、現在は南城市)教育委員会 知念村史跡
これが本来の水量なのかどうかは分かりませんが、この日の水量は少なめでした。

湧き水が飲めるかどうかは分かりませんでしたが、当時の住民にとって欠かせない水であったことは間違いありません。

具志堅の樋川の場所はこちら。
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具志堅の樋川は国道331号線沿いにあり、具志堅集落を車で走っていると見ることが出来ます。作りが沖縄のお墓に似ているので、パッと見たときは道沿いにお墓があるものと勘違いしてしまいました。

「史跡 具志堅の樋川(カー)」 - 現地の看板より引用。知念大川を水源とするこの樋川(カー)は、昭和4年に字住民の手で築造された総粟造りの堅固なものである。正面に3個の吐水口と洗濯場、右側に沐浴場のある立派な造りで、住民生活に欠かせない貴重な場所であった。
- 平成14年8月19日 知念村(市町村合併により、現在は南城市)教育委員会 知念村史跡
これが本来の水量なのかどうかは分かりませんが、この日の水量は少なめでした。

湧き水が飲めるかどうかは分かりませんでしたが、当時の住民にとって欠かせない水であったことは間違いありません。

具志堅の樋川の場所はこちら。
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月19日
垣花樋川で涼もう!
このところ全国各地で猛暑が伝えられていますので、ブログの記事くらいは涼しい内容でいきたいと思います。
前の記事で紹介した仲村渠樋川から車で数分のところに、沖縄県より唯一環境省の名水百選に選ばれた垣花樋川(かきのはなひーじゃー)があります。

仲村渠樋川より集落の中に入ること数分、垣花樋川の入り口が見えてきます。

民家のそばから坂を下るようにして樋川へ向かいます。国道331号線沿いから入るルートもありますが、そちらの方は入り口が少し分かりにくいかもしれません。

坂を100mほど下ります。勾配がきつく石畳が滑りやすいので、足下には注意して下さい。

丘陵の途中に垣花樋川があります。集落から少し離れていることもあり、本当に静かで風と水の音しか聞こえません。

「垣花樋川 (俗称シチャンカー)」 - 現地の看板より引用。
天然の美しい川や泉を保全して後生に伝えるという目的で推薦され、昭和60年に環境庁の全国名水百選に選ばれた。百選の中でも最初は全国で31件が選ばれ、これに入選したほどである。
垣花樋川は集落の南側にあって、石畳の急な坂道(カービラ)を100メートルほど下りていくと、左側のうっそうと繁った林の中腹岩根から湧き水が湧き出ている。かつては左側上のイナグンカー(女の川)は女性が使い、右側下のイキガンカー(男の川)は男性が使っていた。その下流の浅い水たまりはンマミシガー(馬浴川)、全体をまとめてシチャンカー(下の川)と呼ばれ、樋川から流れた水は下側の田を潤し、稲作が盛んであった。
垣花村の人々はシチャンカーで水浴び、洗濯、野菜洗い、水汲みをするため、カービラ(川の坂)を行き来した。石畳道の途中には女たちが一息入れたナカユクイイシ(中休み石)、イーユクイイシヒライサー(上休み石の平石)が残っている。
現在は簡易水道として、地域の飲料水等の生活用水や、農業用水として利用されている。
- 南城市玉城字垣花 平成18年1月
かなりの量の水が湧き出ています。飲んでみると冷たくて美味しかったです。

ンマミシガーは浅くて、幼稚園くらいの子供が中に入っても水が膝まで浸かるかどうかなので、よく子供が中に入って水遊びしています。親が近くで見ているのであれば安心です。

また垣花樋川は山の斜面にあるため、眼下に広がる青い海を見渡すことが出来ます。

涼しく、静かで、景色よし。涼みに行くなら、案外穴場かも知れません。

垣花樋川の場所はこちら。
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前の記事で紹介した仲村渠樋川から車で数分のところに、沖縄県より唯一環境省の名水百選に選ばれた垣花樋川(かきのはなひーじゃー)があります。

仲村渠樋川より集落の中に入ること数分、垣花樋川の入り口が見えてきます。

民家のそばから坂を下るようにして樋川へ向かいます。国道331号線沿いから入るルートもありますが、そちらの方は入り口が少し分かりにくいかもしれません。

坂を100mほど下ります。勾配がきつく石畳が滑りやすいので、足下には注意して下さい。

丘陵の途中に垣花樋川があります。集落から少し離れていることもあり、本当に静かで風と水の音しか聞こえません。

「垣花樋川 (俗称シチャンカー)」 - 現地の看板より引用。天然の美しい川や泉を保全して後生に伝えるという目的で推薦され、昭和60年に環境庁の全国名水百選に選ばれた。百選の中でも最初は全国で31件が選ばれ、これに入選したほどである。
垣花樋川は集落の南側にあって、石畳の急な坂道(カービラ)を100メートルほど下りていくと、左側のうっそうと繁った林の中腹岩根から湧き水が湧き出ている。かつては左側上のイナグンカー(女の川)は女性が使い、右側下のイキガンカー(男の川)は男性が使っていた。その下流の浅い水たまりはンマミシガー(馬浴川)、全体をまとめてシチャンカー(下の川)と呼ばれ、樋川から流れた水は下側の田を潤し、稲作が盛んであった。
垣花村の人々はシチャンカーで水浴び、洗濯、野菜洗い、水汲みをするため、カービラ(川の坂)を行き来した。石畳道の途中には女たちが一息入れたナカユクイイシ(中休み石)、イーユクイイシヒライサー(上休み石の平石)が残っている。
現在は簡易水道として、地域の飲料水等の生活用水や、農業用水として利用されている。
- 南城市玉城字垣花 平成18年1月
かなりの量の水が湧き出ています。飲んでみると冷たくて美味しかったです。

ンマミシガーは浅くて、幼稚園くらいの子供が中に入っても水が膝まで浸かるかどうかなので、よく子供が中に入って水遊びしています。親が近くで見ているのであれば安心です。

また垣花樋川は山の斜面にあるため、眼下に広がる青い海を見渡すことが出来ます。

涼しく、静かで、景色よし。涼みに行くなら、案外穴場かも知れません。

垣花樋川の場所はこちら。
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仲村渠樋川で涼もう!
このところ全国各地で猛暑が伝えられていますので、ブログの記事くらいは涼しい内容でいきたいと思います。
南城市玉城の仲村渠児童館そばに、仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)と呼ばれる源泉があります。その日もかなりの量の水が湧いていました。

「仲村渠樋川 (国指定重要文化財)」 - 現地の看板より引用。
仲村渠樋川は仲村渠集落の共同用水施設で、沖縄の伝統的な石造井泉(せきぞうせいせん)を代表するものである。
古くは「うふがー」と呼ばれ、水場に木製の樋をすえた程度の施設だったようだが、大正元年(1912年)から翌年にかけ、津堅島の石工により琉球石灰岩などを用いて造り替えられた。その施設は「いきががー(男性用水場)」、「いなぐがー(女性用水場)」、広場、拝所、共同風呂、かーびら(石畳)によって構成され、敷地北側からの湧水を貯水槽に貯え、水場へ流して使用されていた。昭和30年代に簡易水道が敷設されるまでは、飲用、洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水として利用されていたが、最近は主に農業用水に利用されている。
しかし、先の沖縄戦で共同風呂周辺は破壊され土で埋められたため、昭和39年に広場にはモルタルが塗られ仮の改修がなされた。更に平成16年に実施された復元工事により、大正2年(1913年)当時の樋川の状態に復元され、敷地全体の景観が整えられた。同時にいきががーの芋洗い場や広場の石敷き、共同風呂も復元がなされた。共同風呂については主に発掘調査により発見された出土品(北側の石柱二本、石壁の一部、水槽、洗い場床、五右衛門風呂の一部)や近辺の類例などをもとに復元がなされた。また法面保護のため、共同風呂北側および広場東側に擁壁工事が施され整備された。
- 玉城村(市町村合併により現在は南城市)教育委員会 平成17年3月31日
こちらが仲村渠樋川のいきががー(男性用水場)です。

正面の広場はガジュマルの大木で木陰となっており、涼しい風が吹いています。

いなぐがー(女性用水場)の方も覗いてみます。こちらもかなり水が湧いていました。

少しは涼しくなっていただけましたか?
仲村渠樋川の場所はこちら。
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南城市玉城の仲村渠児童館そばに、仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)と呼ばれる源泉があります。その日もかなりの量の水が湧いていました。

「仲村渠樋川 (国指定重要文化財)」 - 現地の看板より引用。仲村渠樋川は仲村渠集落の共同用水施設で、沖縄の伝統的な石造井泉(せきぞうせいせん)を代表するものである。
古くは「うふがー」と呼ばれ、水場に木製の樋をすえた程度の施設だったようだが、大正元年(1912年)から翌年にかけ、津堅島の石工により琉球石灰岩などを用いて造り替えられた。その施設は「いきががー(男性用水場)」、「いなぐがー(女性用水場)」、広場、拝所、共同風呂、かーびら(石畳)によって構成され、敷地北側からの湧水を貯水槽に貯え、水場へ流して使用されていた。昭和30年代に簡易水道が敷設されるまでは、飲用、洗濯、野菜洗い、水浴びなどの生活用水として利用されていたが、最近は主に農業用水に利用されている。
しかし、先の沖縄戦で共同風呂周辺は破壊され土で埋められたため、昭和39年に広場にはモルタルが塗られ仮の改修がなされた。更に平成16年に実施された復元工事により、大正2年(1913年)当時の樋川の状態に復元され、敷地全体の景観が整えられた。同時にいきががーの芋洗い場や広場の石敷き、共同風呂も復元がなされた。共同風呂については主に発掘調査により発見された出土品(北側の石柱二本、石壁の一部、水槽、洗い場床、五右衛門風呂の一部)や近辺の類例などをもとに復元がなされた。また法面保護のため、共同風呂北側および広場東側に擁壁工事が施され整備された。
- 玉城村(市町村合併により現在は南城市)教育委員会 平成17年3月31日
こちらが仲村渠樋川のいきががー(男性用水場)です。

正面の広場はガジュマルの大木で木陰となっており、涼しい風が吹いています。

いなぐがー(女性用水場)の方も覗いてみます。こちらもかなり水が湧いていました。

少しは涼しくなっていただけましたか?
仲村渠樋川の場所はこちら。
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前から気になっていたテダ御川
南城市知念にある海鮮グルメレストラン「わちばる太郎」がお気に入りで、近くを通りがかったとき立ち寄ったりするのですが、その入口に立っているテダ御川という看板が前からどうも気になっていました。


大した看板ではないのですが、気になって仕方なかったので、実際に行ってみることにしました。

看板が示す通路を歩いていくとお墓が幾つかあるのですが、そのお墓のそばにある脇道を更に進みます。

道は更に続きます。

道が結構長いので、だんだん不安になってきます。

そんな不安を感じ取ったのか、もう引き返そうかと考え始めたちょうどそのとき、テダ御川の案内板を見つけました。この道を進むことで間違いないようです。

更に進むと灯台が見えてきました。

灯台のそばから、海に向かって坂を下っていきます。

下りも結構長いです。

坂を下ったところに歩道がありました。

歩道を更に歩いて行くと...

テダ御川を見つけることが出来ました。

なるほど、テダ御川とはこういうものかと分かったのですが、どういう由来があるのかと思い、そばの案内板を見てみると...
読めない!
海のそばにあるからこうなるのか、案内板に書かれている文字の腐食が進んでおり、半分以上何が書かれているのか読み取れません。関係者の方々、この案内板をどうにかしてもらえませんか?
テダ御川の場所はこちら。
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大した看板ではないのですが、気になって仕方なかったので、実際に行ってみることにしました。
看板が示す通路を歩いていくとお墓が幾つかあるのですが、そのお墓のそばにある脇道を更に進みます。
道は更に続きます。
道が結構長いので、だんだん不安になってきます。
そんな不安を感じ取ったのか、もう引き返そうかと考え始めたちょうどそのとき、テダ御川の案内板を見つけました。この道を進むことで間違いないようです。
更に進むと灯台が見えてきました。
灯台のそばから、海に向かって坂を下っていきます。
下りも結構長いです。
坂を下ったところに歩道がありました。
歩道を更に歩いて行くと...
テダ御川を見つけることが出来ました。
なるほど、テダ御川とはこういうものかと分かったのですが、どういう由来があるのかと思い、そばの案内板を見てみると...
読めない!
海のそばにあるからこうなるのか、案内板に書かれている文字の腐食が進んでおり、半分以上何が書かれているのか読み取れません。関係者の方々、この案内板をどうにかしてもらえませんか?
テダ御川の場所はこちら。
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2007年08月13日
前から気になっていた当山の石畳道
浦添大公園は好きな場所の一つなのですが、公園に行く道の途中、前から気になっていた看板がありました。
大した看板ではないのですが、気になって仕方なかったので見てみると、当山の石畳道の案内板でした。

看板のすぐ側にある階段を下りていくと、目の前にかなり急勾配の石畳が見えてきます。

「史跡 当山の石畳道(浦添市指定文化財)」 - 現地の看板より引用。
琉球王国時代、王府は首里城と各間切の番所(地方の役所)を結ぶ宿道を、川には橋を架け、坂は石畳道に整備しました。この道は、首里城から浦添間切番所を通って宜野湾間切番所に至るいわゆる普天間街道で、牧港川の谷間に幅4.5m、長さ約200mの石畳道が残っています。馬が転ぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれていました。
この道を通って国王は普天間宮へ参詣し、また各間切の年貢が首里城に運ばれました。宜野湾間切が新設された17世紀後半頃に整備されたと考えられていますが、橋は大正時代に改築されました。(昭和59年3月1日指定 浦添市教育委員会)
静かな風景の中、当時の石畳道がほぼ完全な形で残されています。石畳の表面が滑らかになっているのは、当時大勢の人や馬がそこを行き来して石畳を踏みしめていたからではないか、と言われています。

坂を下りきった場所は公園として整備されていました。

先へ進むと、再び上り坂となっています。

はじめは木橋だったが、大正時代に石橋に改築されたとのこと。米軍の砲撃を受けて一部破損した箇所はあるが、ほぼ原型をとどめています。

坂を登っていくと反対側に着きました。本当はこの先にも続きがあるようなのですが...

登ってきた道を戻ります。途中、石畳道の全景が見えましたので写真を一枚。道はS字型になっており、下の写真では分かりにくいかもしれませんが、左上には私が下ってきた急勾配の石畳道が一部見えています。

この一帯は戦時中激しい戦場であったにもかかわらず、石畳道がほぼ完全な状態で残っています。この一帯が嘉数高地と前田高地に囲まれ、死角となっていたことがその理由とされています。

急勾配の箇所を下から眺めると、馬が転ぶので馬ドゥケーラシを言われていた理由が分かるのではないかと思います。

当山の石畳道の場所はこちら。
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大した看板ではないのですが、気になって仕方なかったので見てみると、当山の石畳道の案内板でした。
看板のすぐ側にある階段を下りていくと、目の前にかなり急勾配の石畳が見えてきます。
「史跡 当山の石畳道(浦添市指定文化財)」 - 現地の看板より引用。琉球王国時代、王府は首里城と各間切の番所(地方の役所)を結ぶ宿道を、川には橋を架け、坂は石畳道に整備しました。この道は、首里城から浦添間切番所を通って宜野湾間切番所に至るいわゆる普天間街道で、牧港川の谷間に幅4.5m、長さ約200mの石畳道が残っています。馬が転ぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれていました。
この道を通って国王は普天間宮へ参詣し、また各間切の年貢が首里城に運ばれました。宜野湾間切が新設された17世紀後半頃に整備されたと考えられていますが、橋は大正時代に改築されました。(昭和59年3月1日指定 浦添市教育委員会)
静かな風景の中、当時の石畳道がほぼ完全な形で残されています。石畳の表面が滑らかになっているのは、当時大勢の人や馬がそこを行き来して石畳を踏みしめていたからではないか、と言われています。
坂を下りきった場所は公園として整備されていました。
先へ進むと、再び上り坂となっています。
はじめは木橋だったが、大正時代に石橋に改築されたとのこと。米軍の砲撃を受けて一部破損した箇所はあるが、ほぼ原型をとどめています。
坂を登っていくと反対側に着きました。本当はこの先にも続きがあるようなのですが...
登ってきた道を戻ります。途中、石畳道の全景が見えましたので写真を一枚。道はS字型になっており、下の写真では分かりにくいかもしれませんが、左上には私が下ってきた急勾配の石畳道が一部見えています。
この一帯は戦時中激しい戦場であったにもかかわらず、石畳道がほぼ完全な状態で残っています。この一帯が嘉数高地と前田高地に囲まれ、死角となっていたことがその理由とされています。
急勾配の箇所を下から眺めると、馬が転ぶので馬ドゥケーラシを言われていた理由が分かるのではないかと思います。
当山の石畳道の場所はこちら。
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月12日
糸数アブチラガマで平和について考える(その2)
何の知識もないまま、単なる興味本位で中に入ったアブチラガマなのですが、今さら入口に引き返すことも出来ず、暗闇の中表示される順路の看板だけを頼りに先へ進みました。
しかし人間の目とは凄いもので、しばらくするとうっすらとではありますが周りの様子が見えてくるようになり、ガマの中にある看板の位置が何となく分かるようになってきました。

破傷風患者が集められた場所です。岩の窪みを利用した場所のようですが、人がかがんでやっと入れるような狭さです。

写真では分かりにくいですが、脳症患者が集められた場所とのことです。

看板では便所とありましたが、果たしてどこが便所なのかよく分かりませんでした。もしかしたら垂れ流しだったのかも...

南風原陸軍病院の分室として使われていたときの治療室です。

治療室の隣には軍医室があります。すぐ側には空気孔があるようです。

カマド跡なのですが、一部は戦後復元された箇所があるそうで、当時の形とは少し違うとのことです。

多分15分ほど中を歩いたと思いますが、やっと念願の出口が見えてきました。

出口を登り切ったところです。空気がこんなに美味しいものだとは思いませんでした。

出口もまた目立たないところにあります。

正直に言うと、ガマの中に居たときはあまりの怖さで見学に入ったことを後悔し、ひたすら外に出ることだけを考えていました。しかしいざ外に出てみると、当時の中の様子はどうだったのか、当時の方々がどんな気持ちでこの中に居たのか、とても考えさせられました。
外に出てきたとき、私が一番始めにしたことは"深呼吸"でした。ガマの中の暗く、蒸し暑く、怖く、とにかく居心地の悪い雰囲気から一刻も早く抜け出したかったからです。
でも当時の方々は、そのたったの"深呼吸"すら許されなかったのかも知れません。
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しかし人間の目とは凄いもので、しばらくするとうっすらとではありますが周りの様子が見えてくるようになり、ガマの中にある看板の位置が何となく分かるようになってきました。
破傷風患者が集められた場所です。岩の窪みを利用した場所のようですが、人がかがんでやっと入れるような狭さです。
写真では分かりにくいですが、脳症患者が集められた場所とのことです。
看板では便所とありましたが、果たしてどこが便所なのかよく分かりませんでした。もしかしたら垂れ流しだったのかも...
南風原陸軍病院の分室として使われていたときの治療室です。
治療室の隣には軍医室があります。すぐ側には空気孔があるようです。
カマド跡なのですが、一部は戦後復元された箇所があるそうで、当時の形とは少し違うとのことです。
多分15分ほど中を歩いたと思いますが、やっと念願の出口が見えてきました。
出口を登り切ったところです。空気がこんなに美味しいものだとは思いませんでした。
出口もまた目立たないところにあります。
正直に言うと、ガマの中に居たときはあまりの怖さで見学に入ったことを後悔し、ひたすら外に出ることだけを考えていました。しかしいざ外に出てみると、当時の中の様子はどうだったのか、当時の方々がどんな気持ちでこの中に居たのか、とても考えさせられました。
外に出てきたとき、私が一番始めにしたことは"深呼吸"でした。ガマの中の暗く、蒸し暑く、怖く、とにかく居心地の悪い雰囲気から一刻も早く抜け出したかったからです。
でも当時の方々は、そのたったの"深呼吸"すら許されなかったのかも知れません。
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!2007年08月09日
糸数アブチラガマで平和について考える(その1)
沖縄の言葉で洞窟や洞穴のことを"ガマ"と言います。
南城市玉城に糸数アブチラガマという名前の自然洞窟があります。第二次世界大戦の沖縄戦では避難壕として使用され、現在は平和学習や修学旅行の観光コースとして紹介されることが多いとのことです。
実は私、恥ずかしながらその日までアブチラガマの存在を知りませんでした。たまたま近くを通りがかったときに看板を見かけ、単なる興味本位で立ち寄ったのです。私はアブチラガマについて何の知識もないまま、中に入ってみることにしました。
近くにある南部観光総合案内センターで入場料200円を支払おうとしたとき、「懐中電灯は持っていますか?」と聞かれました。いいえと答えると100円で貸し出すとのこと。別に必要ないだろうと思い断ると、どうしても持って行くようしつこく薦めてくるので仕方なく借りることに。一緒に薦めてきたヘルメットは丁寧にお断りしました。

「糸数アブチラガマ(糸数壕)」 - 現地の看板より引用。
このガマは全長が約270mに及ぶ自然洞窟で、昭和19年7月頃から日本軍の陣地としての整備が始まった。
昭和20年3月23日本島南部が艦砲射撃を受け、翌24日から糸数住民約200名がこのガマへ避難した。その当時は日本軍の陣地・食料倉庫および糸数住民の避難壕として使用されていた。
その後地上戦が激しくなり本島南部への危険が迫っていた4月下旬頃、南風原陸軍病院の分室として糸数アブチラガマが設定され、5月1日から約600名の患者が担送されてきた。このガマも危険になってきた5月下旬の撤退まで陸軍病院として使用された。病院の撤退後は重症患者が置き去りにされ、米軍からの攻撃もたびたび受け、悲惨を極めた地獄絵が展開された。しかし、このガマのお陰で生き延びた人達がいることも忘れてはならない事実である。
このガマで亡くなられた方々の遺骨は、戦後糸数住民と関係者等により蒐集され、国立沖縄戦没者墓宛に合祀された。
案内センターの駐車場から100mほど歩いたところにアブチラガマの入口があります。目立たないので分かりにくいかも知れません。

受付の方に入場券を渡すと、受付名簿に名前を記入するよう言われます。それまでは普通の風景ですが、受付の方が私の書いた名前の横に「男性、身長約○○cm、年齢○○代程度、○○時○○分入場」と書き加えたのを見逃しませんでした。そのときは、何故そのようなことまで書き加えているのか分からなかったのですが、ガマの中に入ったとき、その理由が分かりました...
アブチラガマの入口はとても小さく、大人がやっと入れるかという程度です。

ガマの入口を進んでいくと、中から蒸し暑い熱気がこみ上げてきます。湿気が凄そうで、居心地はかなり悪かっただろうと思われます。

ガマの中に入ったとき、何故懐中電灯をしつこく薦めてきたのか、何故受付の方が名前の横に私の見た目の特徴を書き加えたのか、全ての理由が分かりました... 中は真っ暗で全く何も見えないのです!

ガマの中は一切照明がなく(照明設備はあるが点灯していない。)、私が受付で借りた小さな懐中電灯では足下を照らすのがやっとという状態で、とてもガマの全体像を見渡すことは出来ません。
何歩か進んでみたのですが、真っ暗闇の中で足下だけ心細く照らしているような状況なので、かなりの恐怖感に襲われます。写真撮影をするつもりではないのですが、デジカメのストロボを何度もたき、その灯りでガマの内部を確認していました。

あまりの恐怖感から汗が背中を伝っているのがはっきりと分かりました。内部の地図が書かれたパンフレットを持ってきてはいるのですが、自分が今どこに立っているのかが分からないので殆ど意味をなしません。暗闇の中でたまに見かける「順路」と書かれた看板だけを頼りに先へ進みます。
人間、こういう状況に置かれると悪い想像ばかり膨らむもので、「もし看板を見失ったらどうしよう?」「もし懐中電灯の電池が切れてしまったらどうしよう?」、と不安は広がるばかりです。一度引き返そうとしたのですが、さっき見たはずの順路の看板を見つけることが出来なかったため、無理に戻ると逆に迷子になってしまうのではないかと考え、そのまま先へ進むことにしました。
糸数アブチラガマの場所はこちら。
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南城市玉城に糸数アブチラガマという名前の自然洞窟があります。第二次世界大戦の沖縄戦では避難壕として使用され、現在は平和学習や修学旅行の観光コースとして紹介されることが多いとのことです。
実は私、恥ずかしながらその日までアブチラガマの存在を知りませんでした。たまたま近くを通りがかったときに看板を見かけ、単なる興味本位で立ち寄ったのです。私はアブチラガマについて何の知識もないまま、中に入ってみることにしました。
近くにある南部観光総合案内センターで入場料200円を支払おうとしたとき、「懐中電灯は持っていますか?」と聞かれました。いいえと答えると100円で貸し出すとのこと。別に必要ないだろうと思い断ると、どうしても持って行くようしつこく薦めてくるので仕方なく借りることに。一緒に薦めてきたヘルメットは丁寧にお断りしました。
「糸数アブチラガマ(糸数壕)」 - 現地の看板より引用。このガマは全長が約270mに及ぶ自然洞窟で、昭和19年7月頃から日本軍の陣地としての整備が始まった。
昭和20年3月23日本島南部が艦砲射撃を受け、翌24日から糸数住民約200名がこのガマへ避難した。その当時は日本軍の陣地・食料倉庫および糸数住民の避難壕として使用されていた。
その後地上戦が激しくなり本島南部への危険が迫っていた4月下旬頃、南風原陸軍病院の分室として糸数アブチラガマが設定され、5月1日から約600名の患者が担送されてきた。このガマも危険になってきた5月下旬の撤退まで陸軍病院として使用された。病院の撤退後は重症患者が置き去りにされ、米軍からの攻撃もたびたび受け、悲惨を極めた地獄絵が展開された。しかし、このガマのお陰で生き延びた人達がいることも忘れてはならない事実である。
このガマで亡くなられた方々の遺骨は、戦後糸数住民と関係者等により蒐集され、国立沖縄戦没者墓宛に合祀された。
案内センターの駐車場から100mほど歩いたところにアブチラガマの入口があります。目立たないので分かりにくいかも知れません。
受付の方に入場券を渡すと、受付名簿に名前を記入するよう言われます。それまでは普通の風景ですが、受付の方が私の書いた名前の横に「男性、身長約○○cm、年齢○○代程度、○○時○○分入場」と書き加えたのを見逃しませんでした。そのときは、何故そのようなことまで書き加えているのか分からなかったのですが、ガマの中に入ったとき、その理由が分かりました...
アブチラガマの入口はとても小さく、大人がやっと入れるかという程度です。
ガマの入口を進んでいくと、中から蒸し暑い熱気がこみ上げてきます。湿気が凄そうで、居心地はかなり悪かっただろうと思われます。
ガマの中に入ったとき、何故懐中電灯をしつこく薦めてきたのか、何故受付の方が名前の横に私の見た目の特徴を書き加えたのか、全ての理由が分かりました... 中は真っ暗で全く何も見えないのです!
ガマの中は一切照明がなく(照明設備はあるが点灯していない。)、私が受付で借りた小さな懐中電灯では足下を照らすのがやっとという状態で、とてもガマの全体像を見渡すことは出来ません。
何歩か進んでみたのですが、真っ暗闇の中で足下だけ心細く照らしているような状況なので、かなりの恐怖感に襲われます。写真撮影をするつもりではないのですが、デジカメのストロボを何度もたき、その灯りでガマの内部を確認していました。
あまりの恐怖感から汗が背中を伝っているのがはっきりと分かりました。内部の地図が書かれたパンフレットを持ってきてはいるのですが、自分が今どこに立っているのかが分からないので殆ど意味をなしません。暗闇の中でたまに見かける「順路」と書かれた看板だけを頼りに先へ進みます。
人間、こういう状況に置かれると悪い想像ばかり膨らむもので、「もし看板を見失ったらどうしよう?」「もし懐中電灯の電池が切れてしまったらどうしよう?」、と不安は広がるばかりです。一度引き返そうとしたのですが、さっき見たはずの順路の看板を見つけることが出来なかったため、無理に戻ると逆に迷子になってしまうのではないかと考え、そのまま先へ進むことにしました。
糸数アブチラガマの場所はこちら。
「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく! 2007年08月07日
太宰府天満宮で合格祈願
甥っ子が受験を控えていることもあり、合格祈願を兼ね太宰府天満宮まで足を運びました。
天神にある西鉄福岡駅から約20分(特急)ほどで太宰府駅に到着します。太宰府天満宮は修学旅行以来なので、何十年ぶりというところでしょうか。正直なところ、当時の記憶は殆どありません。

駅正面の表参道を5分ほど歩くと延寿王院前の鳥居に到着します。

本殿に向かうため、心字池に架かる太鼓橋を渡ります。

桜門が見えてきました。御本殿はもうすぐです。

桜門をくぐると御本殿が見えるはずです。

御本殿に着きました。

さすが学問の神様だけあり、写真には写っていませんが、あちこちで修学旅行生の姿を見かけました。

道真公、どうか甥っ子をよろしくお願いします。

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天神にある西鉄福岡駅から約20分(特急)ほどで太宰府駅に到着します。太宰府天満宮は修学旅行以来なので、何十年ぶりというところでしょうか。正直なところ、当時の記憶は殆どありません。
駅正面の表参道を5分ほど歩くと延寿王院前の鳥居に到着します。
本殿に向かうため、心字池に架かる太鼓橋を渡ります。
桜門が見えてきました。御本殿はもうすぐです。
桜門をくぐると御本殿が見えるはずです。
御本殿に着きました。
さすが学問の神様だけあり、写真には写っていませんが、あちこちで修学旅行生の姿を見かけました。
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