沖縄の風景:記事一覧

キラキラ  「沖縄の風景」記事一覧

沖縄の風景:お気に入り


沖縄の風景:お勧め商品
沖縄の風景:メッセージ
沖縄の風景:読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 1人

2007年09月29日

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

豊見城市が一望出来る高台に、先の大戦における沖縄戦で日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部が置かれた(通称)旧海軍司令部壕があります。















当時の司令部壕は全長450メートルだったと言われていますが、昭和45年、観光開発事業団により約280メートル分が復元され、現在は公園施設として整備されています。















施設内には復元された壕の他、発見された遺品や写真などが展示された資料館があります。















資料館には当時の様子を物語る様々な展示物がありますが、個人的には山田中佐という方が息子に残したと思われる遺書には胸が詰まる思いでした。






























壕の殆どはカマボコ型をしており、掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐えられるよう造られています。持久戦を想定していたと言われています。















幕僚室には、幕僚が手榴弾で自決した際の破片の跡が、壁に生々しく残されています。















壕の中は入り組んだ迷路のようになっています。






























当時、壕の中には約4000人の兵士が収容されており、壕のあまりの狭さに立ったまま睡眠休息をとったと言われています。















兵士は武器らしい武器すら持っていない状況の中、この出口から外へ出撃していき、その殆どは帰ってこなかったとのことです。















最終的に司令部は米軍に取り囲まれ、退却不可能な状態に追い込まれます。その後必死の抵抗を試みるも、米軍の猛攻撃により、司令官大田實海軍少将ほか幹部6名は昭和20年6月13日、壕内で拳銃自殺を遂げたと言われています。

そして死の直前、司令官であった大田實海軍少将は、この司令官室から海軍次官に宛て、あの062016電報を打電したと言われています。















062016電 (以下は電報の現代語訳)

昭和20年6月6日20時16分発。

沖縄根拠地隊司令官より海軍次官へ。

次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告されるべきですが、県は既に通信する力は無く、三二軍(沖縄守備軍)もまた通信する力がないと認められますので、私は県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことが出来ないので、代わって緊急にお知らせ致します。

沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関しては殆ど顧みる余裕もありませんでした。しかし私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかり出され、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで軍の作戦の支障にならない場所の小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下で彷徨い、風雨にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも若い女性は進んで軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより砲弾運びや斬り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されるからと、親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦に至っては軍の移動に際し、衛生兵が既に出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定されたとき、輸送力のない者は夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

これらをまとめると、陸海軍が沖縄にやって来て以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の実情は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえも全てが焼けてしまい、食べ物も六月一杯を支えるだけということです。沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。

下は沖縄守備第32軍首脳の集合写真

1 海軍根拠地隊司令官 大田 實 少将
2 第32軍司令官 牛島 満 中将
3 参謀長 長 勇 中将















大田少将が海軍次官に宛てた電報には、天皇陛下万歳の言葉も戦線の状況報告も無く、この地上戦で悲惨な目に遭った沖縄県民の苦難の様子が綴られ、平和が訪れたあかつきには沖縄県民に格別の配慮をして頂きたいとの要望で締めくくられています。

折しも今日29日は教科書検定意見撤回を求める県民大会が開催されます。

今回、事の発端となった住民の集団自決に軍の関与があったのかどうか、様々な証言があり意見が分かれるところですのでここでは触れませんが、県民大会が開催される程の事態にまで深刻化しているこの状況を、大田少将はどう思われているのでしょうか。

(補足)大田少将の最終階級は海軍中将とのことです。

沖縄本島 旧海軍司令部壕の場所はこちら
  
Posted by はじめ at 04:28Comments(11)TrackBack(0)豊見城市

2007年09月28日

沖縄県最東端の碑

北大東空港滑走路のすぐ側に、沖縄県の最東端を示す碑があります。















実は地図を見て頂ければ気が付くと思うのですが、北大東島の本当の最東端は真黒岬です。何故、最東端の碑が岬ではなくここにあるのかと言うと、真黒岬は進入道路が存在しないため、徒歩や自転車による進入が困難であるとして、岬より南側のこの場所に碑を建設したとのことです。















最東端の碑のすぐ側には沖縄海と呼ばれる、岸壁に囲まれたリーフ状の海岸があります。波の穏やかな日はここで海水浴を楽しむことが出来るそうです。この場所から沖縄で一番最初に上がる朝日を見ることが出来ます。















ちなみに真黒岬の名前の由来は、この辺りでマグロがよく釣れるところから来ているのだそうです。

沖縄本島 沖縄最東端の碑の場所はこちら



 「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 01:25Comments(3)TrackBack(0)北大東村

2007年09月27日

長幕に残された貴重な植物

北大東は環礁が隆起して出来た島だと言われています。その痕跡として島を環状に取り囲む隆起珊瑚礁地帯の存在があり、中でも長幕と呼ばれる箇所は島の南西部約1.5キロメートルを屏風のように取り囲む絶壁となっており、植物地理学上大きな価値があると言われています。









 





本「長幕崖壁および崖錐の特殊植物群落」 - 現地の看板より引用。

 北大東島の内陸部を環状に取り囲む隆起珊瑚礁地帯のうち、南部の約1.5キロメートルは内側が切り立った石灰岩の崖で、まるで屏風を立てたような絶壁となっており、「長幕」と呼ばれている。
 この崖の壁面と崖の下に崩れ落ちた石がゴロゴロしている場所(崖錐)は、その地形の特性のため開発されず、北大東島本来の自然植生に近いものが残されている貴重な地域である。
 この長幕の崖上にはオオイタビ群落やヒレザンショウ群落が、崖面の岩隙にはハマオモト群落、そして下方の崖錐部にはダイトウビロウ群落やハマイヌビワ群落が発達する。
 これらの群落中には、ダイトウシロダモオキナワツゲ、ダイトウワダン、ユズノハカズラルゾンヤマノイモ、ダイトウセイシボク、ヒメタニワタリなどが生物分布上、貴重な植物が自生している。 - 昭和50年3月18日 国指定天然記念物指定。

さすがに自転車でこの辺りまで来ると全身汗だくですが、島の生い立ちを考える上で欠かせない貴重な場所だと思いますので、是非眺めに来ては如何でしょうか。















沖縄本島 長幕の場所はこちら



 「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 12:58Comments(6)TrackBack(0)北大東村

2007年09月23日

グァム!

沖縄の風景とは関係ない話ですが、とうとうこのブログで海外ネタを紹介出来る機会がやって来ました!

グァムに来ました!約10年ぶりの海外です。















がっ!大雨です。何でやねん....















明日こそは晴れるかな。

やし 現在の場所はこちら



 「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 22:46Comments(9)TrackBack(0)グァム

2007年09月22日

上陸公園で波打ち際まで行ってみた

北大東島も、南大東島と同じ玉置半右衛門を中心とした開拓団によって開発された島なのですが、その開拓団が初めて島に上陸した場所が上陸公園として今も残されています。















上陸公園には玉置半右衛門の肖像が描かれた、北大東村開拓百周年記念碑があります。















公園のそばから、開拓団が実際に上陸したと思われる場所へ降りていくことが出来ます。















早速、その場所へ降りて見ることにします。















海の水を触ってみたかったのですが、波が高くて近づくことが出来ません。こちらでは、これ位の波は穏やかなうちに入るのでしょうね。















沖縄本島 上陸公園の場所はこちら



 「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 00:10Comments(2)TrackBack(0)北大東村

2007年09月21日

西地区緑地で国標を見る

燐鉱石貯蔵庫跡の隣にある西地区緑地という公園の中には、北大東島が日本の領土であることを示す国標が建てられています。















本 「国標建立の経緯」 - 現地の看板より引用。

 明治10年頃から、日清両国の間では琉球の所属が公然と論議され、一時は戦争をも辞さない程の険悪な状態になっていた。明治18年の天津条約で一応の危機は回避されたものの、それ以来明治政府は琉球諸島が国防上極めて重要であるとし、その東に位置する未だ所属不明瞭のまま放置されている大東島についても早急に調査して、日本の領土として明確にしておく必要があった。
 また琉球諸島が東洋航路の要地に位置している関係上、18~19世紀の頃から西洋諸国などの艦船の往来が次第に激しくなりつつある中で、領土主権を巡って他国との摩擦を引き起こさないためにも、国際的にその所属を明確にしておく必要があった。そうした背景があって、政府は無人島である北大東島の調査をときの沖縄県令(当時は知事と呼ばず県令と呼んでいた。)西村捨三に命じたのである。そして明治18年8月29日に南大東島に、翌々日の31日には北大東島に木柱の国標が建立され、北大東島が正式に沖縄県の管轄下であり、日本の領土であることを明確にしたのである。
 また、このときの国標建立のための渡航者、石澤兵吾ほか5名が北大東島の最初の公式渡航であり、初めての上陸者である。

当時建立された国標は木柱だったそうですが、朽腐のため昭和12年にコンクリートで再立されたとのことです。なお写真にある現在の国標は、平成16年3月31日に再々建されたものです。















国標は西地区緑地という公園の一角に建立されており、海の向こう側に見える南大東島にも同じような国標があるとのことです。















日本の領土であることを示す国標は、全国でも南北大東島にしか存在しないとのことです。国標を建立してまで領土を主張したということは、この島の存在は非常に重要だったという訳ですね。















沖縄本島 西地区緑地の場所はこちら



 「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 00:25Comments(0)TrackBack(0)北大東村

2007年09月20日

西港でやってはいけないこと

これは西港に限らず、南北大東島の港全てに言えることなのですが、港で一つだけやってはいけないことがあります。
それは港の地面が濡れているとき、絶対海に近づいてはいけません!

西港の防波堤は高さ12メートルと日本一を誇るのですが、この高さを遙かに超えて高波が押し寄せることが多々あるそうです。















私はこの写真を撮影するにあたり、そばで釣りを楽しんでいた地元の方(上の写真に写っています。)に波の状況を聞き、安全であることを確認した上で岸壁に近づいています。

南北大東島は沖に岩礁や珊瑚礁が存在しないため、外洋の波が島へ直接押し寄せてきます。晴れの日や風の無い日でも高波が押し寄せてくることがあるため、港の地面が濡れている時は海に絶対近づかないで下さい。















普通に考えると、まさかこの高さまで波は来ないだろうと思われるでしょうが、来るらしいですよ。















私もその高波を直接見たことはないのですが、その波を捉えた写真を見つけたので紹介します。

港の地面が濡れているのは、高波が押し寄せているせいかも知れません。海に近づく際は充分注意して下さい。

沖縄本島 西港の場所はこちら。



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 00:03Comments(8)TrackBack(0)北大東村

2007年09月19日

燐鉱石貯蔵庫跡から南大東島を眺める

ハマユウ荘うふあがり島で自転車を借りて、最初に向かったのが燐(りん)鉱石貯蔵庫跡です。ハマユウ荘から自転車で約10分ほどの場所にあります。















貯蔵庫跡は西港のすぐ側にあります。燐採掘事業は第二次世界大戦中まで行われていたそうですが、戦後米軍に接収された頃から下火になっていき、1976年に事業そのものが打ち切られたとのことです。















貯蔵庫跡はかなり風化が進んでいますので、建物跡を歩くときは充分注意して下さい。















建物跡にトンネルのようなものがあるのですが、これは採掘された燐を運ぶためのトロッコ通路だったとのことです。なおトロッコ通路の上を歩く際、いくつもの箇所に穴が空いていますので、下に落ちないよう注意して下さい。通路の高さは2メートル以上はありますので、落ちると怪我しますよ。















貯蔵庫跡に登ってみると、向こう側に南大東島を眺めることが出来ます。















沖縄本島 燐鉱石貯蔵庫跡の場所はこちら。



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 00:09Comments(8)TrackBack(0)北大東村

2007年09月18日

ハマユウ荘うふあがり島で宿泊

今回の宿泊はハマユウ荘うふあがり島です。ちょっとしたリゾートホテルのような、とても綺麗な宿です。















宿の全景です。結構敷地が広いです。















宿の中庭です。お洒落な造りだと思いませんか。















まだ日は高いので、宿からレンタサイクルを借りて散歩に出かけようかと思います。















以前はレンタバイクも貸し出していたそうですが、今はレンタサイクルのみ扱っているとのことです。本当は時間節約のためバイクが借りたかったのですが、のんびり行くのもいいかと気分を切り替え、さあ出発です!

沖縄本島 ハマユウ荘うふあがり島の場所はこちら。



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 01:55Comments(8)TrackBack(0)北大東村

2007年09月17日

北大東島へ到着!

南大東島から北大東島に移動してきました。















北大東島と南大東島は最短で僅か10キロメートルしか離れていないものですから、飛行機の飛行時間は僅か3分。飛び立ったかと思えば着陸態勢に入っていました。飛行機が飛び立ったというより、飛行機がジャンプしたという表現の方が適切かも知れません。

夕方の移動でしたので、早速宿に向かおうかと思います。















沖縄本島 北大東空港の場所はこちら。



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 23:58Comments(7)TrackBack(0)北大東村

2007年09月15日

星野洞に行かなくちゃ!

独断と偏見ではありますが、やはり南大東島を見て回るのであれば星野洞を外す訳にはいきません。















星野洞とは東洋一美しいと言われている鍾乳洞のことです。星野洞の名前の由来は、鍾乳洞の真上にある畑の所有者が星野さんだったので、その名字から頂いたということです。意外に単純?

事務所で入場料を払うと、懐中電灯と案内テープの入ったカセットデッキを持たされます。鍾乳洞の所々に番号札があるので、その場所に来たらカセットデッキの再生スイッチを入れるよう指導を受けます。

一通り説明を受けたら実際に中に入ります。普段入口は鍵がかけられているようで、受付の方に開けてもらいます。















地下へ下る長い通路を行くと、鍾乳洞の入口に着きます。















中は見学用通路が完備されており、歩いていくとセンサーが反応して照明が付く仕組みになっています。















鍾乳洞なので中は肌寒いのかと思っていたのですが、意外と蒸し暑くて、またたく間に汗が噴き出てきます。















隆起珊瑚礁から成る南大東島には鍾乳洞が100カ所以上存在しているそうで、その中でも最大規模だった洞を観光資源として活用するために開発、平成6年に落成したのが星野洞なのだそうです。















見学可能な箇所の全長は約375メートルとのことです。別のホールにあり見られないのですが、日本で一番長い1.7メートルのソーダストロー(鍾乳管)がこの星野洞にあるのだそうです。















中は意外と高低差があり、見学用通路の後半部分はかなり下りになっています。















見学可能な箇所の面積は約1000坪とのことです。他にもホールは存在するのですが、今のところ公開の予定はないとのことです。















かなり下に下りましたので、上を眺めてみます。















小さな島なのですが、このような鍾乳洞が他にも100カ所存在するなんて、本当に面白いところです。















沖縄本島 星野洞の場所はこちら



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 02:48Comments(20)TrackBack(0)南大東村

2007年09月14日

海軍棒プールってどんなところ?

南大東島には岩をくり抜いて造った海軍棒プールという人口プールがあります。















南大東島には砂浜がないため、子供達が安心して泳げる施設を、として造られたのだそうです。プールの大きさは写真の左側に立っている人から想像してみて下さい。















満潮時や波の高い日はプール自体が水没するため遊泳禁止となりますが、そのため潮が引くと逃げ遅れた熱帯魚が中にいることが多いそうです。熱帯魚のつかみ取りが楽しめるなんて、もしかしてここだけ?















ただ、いくら囲まれているからと言っても、海軍棒プールは海に直結しているので、波の高い日は用心して下さい。















なお海軍棒プールにはシャワー施設や脱衣所なんてありません。泳いだ後、その辺をうろうろしておけば、太陽の光だけで体中乾きますのでご心配なく。


沖縄本島 海軍棒プールの場所はこちら



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 18:02Comments(10)TrackBack(0)南大東村

2007年09月14日

日の丸山展望台から南大東島を眺める

南大東島一面が見渡せる日の丸山展望台に行ってみました。















本「日の丸山展望台」 - 現地の看板より引用。

 昭和の初期、南地区青年団がこの山を集団活動の拠点とし、日の丸の旗を掲揚して一日の活動の合図としたことから、日の丸山と呼ばれるようになったもので、戦時中は電波探知機部隊の陣地として、島の防空に重要な役割を果たしました。
 海抜57メートルで、展望台からは内部旧礁湖(ラグーン)が一望でき、またはるか北方には北大東島が展望出来ます。

こうして眺めると、結構大きな島ですね。















普通この大きさの島なら、高台に登れば海が見渡せるはずなのですが、南大東島は意外と海が見えません。南大東島が島の中央部が盆地のように窪んだ形をしていることや、島の外周一帯に防風林が植えられていることが原因かと思います。

沖縄本島 日の丸山展望台の場所はこちら



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 17:09Comments(2)TrackBack(0)南大東村

2007年09月13日

築地に行ってはみたけれど

予定外の代理出張で、東京に行くはめになりました。















事前準備もままならない上に代理の出席であったため、今回の出張は悲しくなる程散々な目に... あまりの悲しさから、赤坂にある夜の日枝神社を撮影してきました。....何でこの絵を撮影したのか、ちょっと意味不明です。















翌日は飛行機の出発時刻まで少々時間があったため、大急ぎで築地まで足を伸ばしてみました。















さすがは築地。歩いているだけで魚の香りがプンプンしてきます。















何で卵焼きだけで生計が成り立つんだろう。不思議だなあ。















築地のすぐ近くにある国立がんセンターです。















散々な目に遭ったからなのか、支離滅裂な記事になっていますが、今回は勘弁して下さい。


キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!  
Posted by はじめ at 01:59Comments(6)TrackBack(0)東京都

2007年09月12日

アジアン ケイオスで沖縄ブログ村のオフ会開催!

沖縄の風景とは全く関係のない話ですが、9月15日沖縄ブログ村オフ会が開催されます!

場所は那覇市松山の熱烈居酒屋アジアンケイオスとなっています。
詳しいことは沖縄ブログ村村長の記事をご覧下さい。

なお、通常食べ放題呑み放題2700円のところが、ネットリンククーポンを利用することでキラキラ 2500円に割引キラキラ されるそうです!

↓これを利用しない手はありません。私もさっそく使ってみよー!

サクラ アジアン ケイオスのお得なクーポン!  

2007年09月10日

沖縄陸軍病院南風原壕で思い出した事

南風原町にある黄金森(こがねもり)野球場の裏手には、戦時中病院として使用された沖縄陸軍病院南風原壕跡があります。















黄金森陸上競技場の駐車場にある小さな案内板を目印に壕跡へ向かいます。入口までは250m程度歩きます。















壕跡へ向かう途中、20号壕出口の前を通ります。壕入口に向かうため、更に奥へ歩いていきます。















壕入口を目指し、遊歩道を歩いていきます。















2007年6月より一般公開が始まった20号壕の入口に着きました。















本「沖縄陸軍病院南風原(はえばる)壕群20号」 - 現地の看板より引用。

 20号は第二外科の中心的な壕で、患者の病室、手術場、勤務者室として使用されました。北側に隣接する19号や南側に隣接する21号と中央部で連結した貫通壕でした。
 西口から十字路までの左側壁沿いには軍医と衛生兵、看護婦用の二段ベットが設けられ、薬品箱や医療器具などが置かれていました。4月中旬からは中央部の十字路が手術場となり、ランプのほの暗い灯りで、麻酔なしの手術が行われたのです。それは傷口からの炎症を防ぐため手足を切断する患部手術が殆どでした。十字路から21号につながる通路には戸板が並べられ、それが女子学徒たちの休憩所でした。十字路から東口までの右側壁沿いには幅約90センチメートルの棚が二段あり、入院患者のベットとして使われていました。
 気管を切開し、喉からピューピューと息がもれる患者、下あごのない患者、火炎放射器で全身を焼かれた患者など、直視出来ないほどの重症を負った患者が収容されていました。

 1994年から行われた考古学的発掘調査によって、壕の長さが約70m、高さほぼ1.8m、床幅1.8mで構築されたことや、東口外側で地中に隠すように埋められた多数の医薬品類が確認されています。壕の壁や天井にはツルハシで掘った跡が残り、床面にはほぼ90cmおきに坑木を設置する柱穴があります。坑木の一部は焼けて炭化していますが、現在も残っています。壁や天井も黒く焼けこげており、これは病院の南部撤退後、米軍の火炎放射攻撃によって壕内が火災状態になったためと見られています。なお十字路付近の天井部分には、朝鮮人兵士が書いたと考えられる文字が刻まれています。

- 南風原文化センター 2007年

壕の中を見学しようと思い、20号壕入口の受付を訪ねたのですが人影がありません。受付の案内をよく見てみると、内部の見学は完全予約制とのことでした。私は予約なしで壕を訪ねたため、今回は内部の様子を知ることは出来ませんでした。

仕方がないので、20号壕入口の案内板にある内部の写真を撮影しました。



























































































20号壕入口の側には憲法九条の碑が建てられています。















近くに24号壕の入口がありましたが、まだ整備されていないので一般公開されていないようです。















20号壕入口にある看板の説明文を読んでいたとき、昔のことを思い出していました。

私がまだ小さな頃、実家の近くに小さな病院がありました。その病院の先生は小柄で年配の方でしたが、話し方が乱暴で対応も荒々しく、何かにつけすぐに注射を打ってくるものですから、子供の私にとっては恐怖以外の何者でもありませんでした。私が何か悪さをした際、親が「○○病院に連れて行って先生に看てもらうよ!」と言うとすぐに泣いて謝ったという程ですから、よほど怖かったのだろうと思います。

子供だったので記憶が曖昧なのですが、先生の口癖は「こんなもの怪我のうちに入らない」で、何で怪我をして病院に来ているのに怪我でないのか、と頭にきたことを覚えています。

後で知ったのですが、先生は元軍医で、戦時中相当な思いをしながら生き残った方だとのことでした。知り合いの話では、先生は滅多に酒を飲まないのだが、飲むと必ず当時のことを思い出していたようで、最後はいつも「助けることが出来ず済まなかった」と号泣していたそうです。子供の頃から怖い人、というイメージしかなかった先生でしたが、その話を初めて聞かされたときは申し訳ない気持ちで一杯でした。

20号壕の出口は黄金森野球場を向いています。彼らには今の世の中がどう見えているのでしょうか。















沖縄本島 沖縄陸軍病院南風原壕の場所はこちら



キラキラ  「沖縄の風景」いかがでしたか?沖縄の人気ブログランキングもよろしく!