2008年05月13日
首里城公園の風景(その1)
先日、仕事で沖縄に来た県外の友人を連れ、首里城公園に行ってきました。
首里城公園のインフォメーションセンターである首里杜館(すいむいかん)を出発すると、最初に登場するのは有名な守礼門。

旧首里城守礼門 - 現地の看板より引用
守礼門はかつての中山門に続く首里城第二の坊門で、琉球王国時代の尚清王代(1527年~1555年)に創建されたと伝えられている。当初、「待賢」、ついで「首里」の扁額が掲げられたことで、「待賢門」、「首里門」と呼ばれていたという。尚永王代(1573年~1588年)に「守禮之邦」の扁額が作られ、冊封使の滞在中だけ掲げていたが、尚質王代(1648年~1668年)から常時掲げられるようになり、「守礼門」と呼ばれるようになったと伝えられている。
建築様式は中国牌楼の流れをくむ装飾建築と言われている。構造は三間重層入母屋造で、屋根は赤瓦の本瓦葺き、高さ7.05メートル両端柱間7.94メートルである。昭和8年に国宝に指定されていたが、去る沖縄戦で破壊された。現在の守礼門は昭和33年に復元されたものである。
沖縄県指定有形文化財(建造物) 昭和47年5月12日指定
沖縄県教育委員会
しかし、首里城に行ったのは何年ぶりだろうか。沖縄に住んでいる私としては、あまりにも近くにあるため逆に行く機会がなかった訳で....

しかし、こうして見学してみると、沖縄に住んでいながら初めて見るものだらけでした。灯台もと暗しとはこのことでしょうか。

さて、首里城公園の中に入ってみたいと思います。
守礼門の場所はこちら

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首里城公園のインフォメーションセンターである首里杜館(すいむいかん)を出発すると、最初に登場するのは有名な守礼門。
旧首里城守礼門 - 現地の看板より引用守礼門はかつての中山門に続く首里城第二の坊門で、琉球王国時代の尚清王代(1527年~1555年)に創建されたと伝えられている。当初、「待賢」、ついで「首里」の扁額が掲げられたことで、「待賢門」、「首里門」と呼ばれていたという。尚永王代(1573年~1588年)に「守禮之邦」の扁額が作られ、冊封使の滞在中だけ掲げていたが、尚質王代(1648年~1668年)から常時掲げられるようになり、「守礼門」と呼ばれるようになったと伝えられている。
建築様式は中国牌楼の流れをくむ装飾建築と言われている。構造は三間重層入母屋造で、屋根は赤瓦の本瓦葺き、高さ7.05メートル両端柱間7.94メートルである。昭和8年に国宝に指定されていたが、去る沖縄戦で破壊された。現在の守礼門は昭和33年に復元されたものである。
沖縄県指定有形文化財(建造物) 昭和47年5月12日指定
沖縄県教育委員会
しかし、首里城に行ったのは何年ぶりだろうか。沖縄に住んでいる私としては、あまりにも近くにあるため逆に行く機会がなかった訳で....
しかし、こうして見学してみると、沖縄に住んでいながら初めて見るものだらけでした。灯台もと暗しとはこのことでしょうか。
さて、首里城公園の中に入ってみたいと思います。
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