沖縄の風景:読者登録
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
沖縄の風景:ブログ検索
沖縄の風景:最近の記事
沖縄の風景:カテゴリー
◆沖縄の風景:全般 (0)
└
イベント・お知らせ (219)
└
お世話になってます (36)
└
深い話 (16)
└
コレやりたい! (9)
└
タメになる?話 (14)
└
ホテル・宿の情報 (27)
└
本の感想 (35)
└
気になるモノ (5)
└
笑える話 (28)
└
雑談 (78)
└
どうでもいい話 (17)
◆沖縄の風景:本島北部 (0)
└
名護市 (14)
└
国頭村 (6)
└
大宜味村 (4)
└
東村 (3)
└
今帰仁村 (44)
└
本部町 (20)
└
恩納村 (25)
└
宜野座村 (2)
└
金武町 (6)
└
伊江村 (27)
└
伊平屋村 (38)
└
伊是名村 (15)
◆沖縄の風景:本島中部 (0)
└
宜野湾市 (40)
└
沖縄市 (35)
└
うるま市 (37)
└
読谷村 (13)
└
嘉手納町 (25)
└
北谷町 (16)
└
北中城村 (33)
└
中城村 (23)
└
西原町 (12)
◆沖縄の風景:本島南部 (0)
└
那覇市 (163)
└
浦添市 (17)
└
糸満市 (9)
└
豊見城市 (8)
└
南城市 (51)
└
与那原町 (1)
└
南風原町 (18)
└
渡嘉敷村 (14)
└
座間味村 (12)
└
粟国村 (49)
└
渡名喜村 (20)
└
南大東村 (24)
└
北大東村 (39)
└
久米島町 (25)
└
八重瀬町 (13)
◆沖縄の風景:宮古 (0)
└
宮古島市 (132)
└
宮古島市伊良部 (38)
└
多良間村 (15)
◆沖縄の風景:八重山 (0)
└
石垣市 (20)
└
竹富町 (26)
└
与那国町 (59)
◆沖縄の風景?:県外 (0)
└
東京都 (82)
└
神奈川県 (22)
└
大阪府 (6)
└
京都府 (2)
└
兵庫県 (10)
└
山口県 (2)
└
福岡県 (20)
└
佐賀県 (11)
└
長崎県 (19)
└
熊本県 (6)
└
大分県 (6)
└
宮崎県 (6)
└
鹿児島県 (2)
└
グァム (6)
└
香港 (16)
沖縄の風景:コメント
沖縄の風景 はじめ / 県営南風原団地建替工事(第2・・・
県営南風原団地建替工事(第2期) / 県営南風原団地建替工事(第2・・・
檸檬 / さわふじの風景
沖縄の風景 はじめ / 安国山樹華木之記碑、南風原・・・
美江 / 安国山樹華木之記碑、南風原・・・
沖縄の風景 はじめ / 安心格安車検、沖縄の車検は・・・
stranger / 安心格安車検、沖縄の車検は・・・
沖縄の風景 はじめ / 竹富島、晴れていれば絶景間・・・
美江 / 竹富島、晴れていれば絶景間・・・
美江 / 竹富島、晴れていれば絶景間・・・
沖縄の風景 はじめ / 竹富島、晴れていれば絶景間・・・
美江 / 竹富島、晴れていれば絶景間・・・
沖縄の風景 はじめ / 竹富島、オシャレな外観の竹・・・
美江 / 竹富島、オシャレな外観の竹・・・
沖縄の風景 はじめ / 石垣港離島ターミナルから竹・・・
沖縄の風景:カウンター
沖縄の風景:タグクラウド
那覇市
宮古島市
モブログ
東京都
与那国町
南城市
今帰仁村
粟国村
宜野湾市
北大東村
うるま市
伊平屋村
沖縄市
琉球ドラゴンプロレス
伊良部島
世界遺産
琉球ドラゴンプロレスリング
北中城村
那覇空港
竹富町
竹富島
伊江村
天然記念物
文化財
石垣市
拝所
南大東村
恩納村
沖縄キャンプ
台風
今帰仁城跡
久米島町
鍾乳洞
嘉手納町
南風原町
本部町
首里城公園
渡名喜村
琉球石灰岩
中城村
台風対策
台風情報
パワースポット
テオ・ヤンセン
ビーチアニマル
宝当神社
玉泉洞
渡嘉敷村
香港
福岡県
伊良部大橋
首里城
名護市
浦添市
北谷町
琉球ゴールデンキングス
ユネスコ
天気予報
伊是名村
国際通り
プロ野球
栗城史多
宿泊施設
長崎市
佐賀県
Dr.コトー診療所
宝くじ
座間味村
池間島
八重瀬町
沖縄県立博物館
重要文化財
有形文化財
さしみ屋
刺身屋
台風予報
ネーブルカデナアリーナ
ストランドビースト
テオヤンセン
読谷村
古宇利島
神奈川県
多良間村
さしみ屋のお告げ
沖縄県
西原町
日本トランスオーシャン航空
宮古島
奥武島
琉球キングス
琉球王国のグスク及び関連遺産群
豊見城市
粟国の塩
広島東洋カープ
興南高校
グルクンマスク
琉球ドラゴンチャンプルー
沖縄県立美術館
観光名所
湧水
沖縄の風景:過去記事
喜名古窯跡の風景
読谷村に行ってきたわけですが....
沖縄を代表する古窯の一つでありながら、
2003年にようやく見つかったという喜名焼古窯。
喜名番所から車で3分くらいの場所にあるというので、
古窯が見つかった場所に行ってみました。
喜名焼古窯が見つかったのは住宅地の中で、
ぱっと見ただけでは見落としてしまいそうなほど。
喜名古窯跡 - 現地の案内板より引用
喜名焼・喜名古窯
喜名古窯は知花窯、湧田窯、宝口窯、古我地窯、壺屋窯などと並ぶ沖縄の代表的な古窯で、壺、甕、厨子甕、鉢などの様々な種類の器が伝わっています。
1250度~1280度の高温で焼かれ、固く焼き締まっているのが特徴です。15世紀~16世紀に行われた南蛮貿易の中で、泡盛のルーツといわれるシャム(タイ)の蒸留酒ラオロンとともに甕の製造技術が伝わったと言われています。
現在、「康煕9年(1670年)」の銘書きのある喜名焼厨子甕が見つかっています。しかし、古い文献には喜名焼に関する記録がなく、首里王府によって各地の窯場が那覇の壺屋焼に統合された1682年まで操業されていたと考えられています。これまで窯は不明でしたが、ついに2003年に発見されました。
保存施設の入口がマジックミラーのようになっているため、
遠くからでは中の様子が全く分からない。
いったい中はどうなっているんだろう....
窯跡の発掘調査
2003年の発掘調査で見つかった窯は3基で、いずれも焚き口を南西にして北東方向に伸びる形をしています。
1号窯はアーチ状の天井が良い状態で残っていますが、内部には陶片が密に詰められており、すでに廃棄された状態であることが分かります。窯の造りは、胴から床までの下半分は地山を掘り込み、上半分のアーチ状の天井は粘土を張って造られた半地下式の筒窯と考えられます。サイズは床の間口が約1.6メートル、床から天井までの高さが約1.1メートルで、断面は半円形をしています。
2号窯は1号窯の約2メートル隣に築かれています。間口は約1.1メートルで、堆積した地層から1号窯より古いことが分かります。天井部分はすでになく下半分が残るだけで、窯内には瓦片混じりの堆積土が詰まっていました。また窯の両壁では厚さ5センチメートルもある塼(せん)が棚状に積まれています。
3号窯は1号窯の西側に10メートル程離れて築かれています。天井は崩れていますが、窯内には1号窯と同じように陶片が詰まっています。床の間口は約1.8メートルで、1号窯と同様なアーチ状の天井があったと見られます。物原(失敗作を捨てる場所)が3基の窯を挟むように2カ所で見つかっていて、厚い箇所では1メートル近くになっています。
斜め方向から中の様子を見るため、
3基あるといわれる窯の様子は詳しく確認できませんが、
喜名焼の原点を知る貴重な資料として、
これからも大切にしてほしいですね。
喜名古窯跡の場所はこちら
「沖縄の風景」いかがでしたか? すべての出愛(出会い)に感謝です。
気に入って頂けましたら、下のボタンをポチッとクリックお願いします!
沖縄を代表する古窯の一つでありながら、
2003年にようやく見つかったという喜名焼古窯。
喜名番所から車で3分くらいの場所にあるというので、
古窯が見つかった場所に行ってみました。
喜名焼古窯が見つかったのは住宅地の中で、
ぱっと見ただけでは見落としてしまいそうなほど。
喜名古窯跡 - 現地の案内板より引用
喜名焼・喜名古窯
喜名古窯は知花窯、湧田窯、宝口窯、古我地窯、壺屋窯などと並ぶ沖縄の代表的な古窯で、壺、甕、厨子甕、鉢などの様々な種類の器が伝わっています。
1250度~1280度の高温で焼かれ、固く焼き締まっているのが特徴です。15世紀~16世紀に行われた南蛮貿易の中で、泡盛のルーツといわれるシャム(タイ)の蒸留酒ラオロンとともに甕の製造技術が伝わったと言われています。
現在、「康煕9年(1670年)」の銘書きのある喜名焼厨子甕が見つかっています。しかし、古い文献には喜名焼に関する記録がなく、首里王府によって各地の窯場が那覇の壺屋焼に統合された1682年まで操業されていたと考えられています。これまで窯は不明でしたが、ついに2003年に発見されました。
保存施設の入口がマジックミラーのようになっているため、
遠くからでは中の様子が全く分からない。
いったい中はどうなっているんだろう....
窯跡の発掘調査
2003年の発掘調査で見つかった窯は3基で、いずれも焚き口を南西にして北東方向に伸びる形をしています。
1号窯はアーチ状の天井が良い状態で残っていますが、内部には陶片が密に詰められており、すでに廃棄された状態であることが分かります。窯の造りは、胴から床までの下半分は地山を掘り込み、上半分のアーチ状の天井は粘土を張って造られた半地下式の筒窯と考えられます。サイズは床の間口が約1.6メートル、床から天井までの高さが約1.1メートルで、断面は半円形をしています。
2号窯は1号窯の約2メートル隣に築かれています。間口は約1.1メートルで、堆積した地層から1号窯より古いことが分かります。天井部分はすでになく下半分が残るだけで、窯内には瓦片混じりの堆積土が詰まっていました。また窯の両壁では厚さ5センチメートルもある塼(せん)が棚状に積まれています。
3号窯は1号窯の西側に10メートル程離れて築かれています。天井は崩れていますが、窯内には1号窯と同じように陶片が詰まっています。床の間口は約1.8メートルで、1号窯と同様なアーチ状の天井があったと見られます。物原(失敗作を捨てる場所)が3基の窯を挟むように2カ所で見つかっていて、厚い箇所では1メートル近くになっています。
斜め方向から中の様子を見るため、
3基あるといわれる窯の様子は詳しく確認できませんが、
喜名焼の原点を知る貴重な資料として、
これからも大切にしてほしいですね。
喜名古窯跡の場所はこちら
「沖縄の風景」いかがでしたか? すべての出愛(出会い)に感謝です。
気に入って頂けましたら、下のボタンをポチッとクリックお願いします!
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。