喜名古窯跡の風景

沖縄の風景 はじめ

2012年08月13日 08:30

読谷村に行ってきたわけですが....

沖縄を代表する古窯の一つでありながら、
2003年にようやく見つかったという喜名焼古窯。

喜名番所から車で3分くらいの場所にあるというので、
古窯が見つかった場所に行ってみました。


喜名焼古窯が見つかったのは住宅地の中で、
ぱっと見ただけでは見落としてしまいそうなほど。


 喜名古窯跡 - 現地の案内板より引用

喜名焼・喜名古窯

 喜名古窯は知花窯、湧田窯、宝口窯、古我地窯、壺屋窯などと並ぶ沖縄の代表的な古窯で、壺、甕、厨子甕、鉢などの様々な種類の器が伝わっています。
 1250度~1280度の高温で焼かれ、固く焼き締まっているのが特徴です。15世紀~16世紀に行われた南蛮貿易の中で、泡盛のルーツといわれるシャム(タイ)の蒸留酒ラオロンとともに甕の製造技術が伝わったと言われています。
 現在、「康煕9年(1670年)」の銘書きのある喜名焼厨子甕が見つかっています。しかし、古い文献には喜名焼に関する記録がなく、首里王府によって各地の窯場が那覇の壺屋焼に統合された1682年まで操業されていたと考えられています。これまで窯は不明でしたが、ついに2003年に発見されました。

保存施設の入口がマジックミラーのようになっているため、
遠くからでは中の様子が全く分からない。

いったい中はどうなっているんだろう....


 窯跡の発掘調査

 2003年の発掘調査で見つかった窯は3基で、いずれも焚き口を南西にして北東方向に伸びる形をしています。
 1号窯はアーチ状の天井が良い状態で残っていますが、内部には陶片が密に詰められており、すでに廃棄された状態であることが分かります。窯の造りは、胴から床までの下半分は地山を掘り込み、上半分のアーチ状の天井は粘土を張って造られた半地下式の筒窯と考えられます。サイズは床の間口が約1.6メートル、床から天井までの高さが約1.1メートルで、断面は半円形をしています。
 2号窯は1号窯の約2メートル隣に築かれています。間口は約1.1メートルで、堆積した地層から1号窯より古いことが分かります。天井部分はすでになく下半分が残るだけで、窯内には瓦片混じりの堆積土が詰まっていました。また窯の両壁では厚さ5センチメートルもある塼(せん)が棚状に積まれています。
 3号窯は1号窯の西側に10メートル程離れて築かれています。天井は崩れていますが、窯内には1号窯と同じように陶片が詰まっています。床の間口は約1.8メートルで、1号窯と同様なアーチ状の天井があったと見られます。物原(失敗作を捨てる場所)が3基の窯を挟むように2カ所で見つかっていて、厚い箇所では1メートル近くになっています。

斜め方向から中の様子を見るため、
3基あるといわれる窯の様子は詳しく確認できませんが、

喜名焼の原点を知る貴重な資料として、
これからも大切にしてほしいですね。


 喜名古窯跡の場所はこちら



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