沖縄の羽衣伝説が残る、森の川の西森碑記
宜野湾市に行ってきたわけですが....
沖縄の羽衣伝説が残る、
宜野湾市の森の川。
森の川で沐浴していた天女が、
奥間大親と出会い一女一男を授かり、
その男の子が後の中山王に就いたとのこと。
その末裔である向氏伊江家の人々が、
森の川に建立した石碑が西森碑記といわれています。
西森碑記は現在の森川公園の奥手に、
今もその形を残しています。
西森碑記の前には長さ五丈四尺の石門が築かれており、
門から出入りできるようになっています。
石門を入ったところに西森碑記の石碑があります。
西森碑記(西森碑記)
この石碑は、高さ120センチ、幅30~60センチ、厚さ10~22センチのニービヌフニ(微粒砂岩)でできている。尚清王(在位1527年~1555年)の第七子を初代とする向氏伊江家の人々が、この石碑の前にある石門と森の川の石積み工事を行い、その完成を記念して雍正(ようせい)3年(中国年号1725年)に建立したものである。
碑文には、「森の川で沐浴していた天女と奥間大親(おくまうふや)が出会い、一女一男が生まれた。男の子は察度(さっと)と名付けられ、後に中山王に就いた。私達の元祖尚宗賢伊江王子朝義の母は宜野湾間切謝名村(ぎのわんまぎりじゃなむら)の野国掟(のぐにうっち)の娘で、名を城の大按司志良礼(うふあんししられ)といい、尚清王の夫人である。私達子孫は毎年五月、西森および森の川の泉を拝んでいるが、野国掟は奥間大親の末裔であるという伝説があるからであろう。
これらの事情により、私達は資金を寄せ、石工を集め、石を切り敷つけ、泉を囲み、門を造った。また、西森の前にも長さ五丈四尺(約16.4メートル)の石垣を造り、門を開け出入りできるようにした。これらは先祖をしのび尊ぶためである。よって、ここに石碑を建立しその事を記す。
大清雍正3年9月吉日、向和憲垣花親方朝理、向良顕伊江按司朝良、向和声西平親方朝叙」とある。
碑文の末尾の人物は三司官の向和声を含めいずれも伊江家の子孫たちである。
平成3年8月1日 宜野湾市史跡 指定
西森碑記のそばには、
森の川で出会った天女羽衣と奥間大親、
そして二人に授かった察度王の名が記された石碑があります。
沖縄にも残る天女羽衣伝説、
神秘的な話ですね。
沖縄に残る天女羽衣伝説、森の川の西森碑記 - YouTube
西森碑記の場所はこちら
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