渡名喜里遺跡の風景(その2)

沖縄の風景 はじめ

2009年02月05日 06:00

>> 渡名喜里遺跡の風景(その1) はこちら

意外と長い距離を歩いたので、フーフー言いながら頂上まで上っていくと....















頂上にはこのような拝殿がありました。















 渡名喜里遺跡 - 現地の看板より引用

 里には「里殿」「ヌル殿内」の拝殿があり、島内随一の信仰地であります。また部落開闢の伝えもあるが、1978年(昭和53年)の発掘調査の結果、この地は14世紀から15世紀頃のグスク時代の遺跡だということが判明しました。当時の人々の生活の足跡として、里殿の拝殿北隣りの平場では、基壇と掘立柱建物跡が発見、ノロ殿内の拝殿平場ではL字状の小満を有する掘立柱建物跡が明らかにされ、また各平場の隅には小貝塚が形成されていました。
 遺物はフェンサ上層式と呼ばれるグスク系土器、輸入陶磁器、鉄釘、鉄鎌、古銭、鉄滓、牛の遺存骨、炭化米、麦などが出土しました。

昭和62年12月1日 渡名喜村教育委員会

渡名喜里遺跡は、渡名喜集落が一望できる丘の上にあります。















拝殿の裏手はこのような感じです。















中が気になったので、ちょっと覗いてみると....















このような感じです。















また、更に10メートルほど奥に進むと、もう一つの拝殿を見ることができます。















 渡名喜島のグスク時代 - 歴史民俗資料館パンフレットより引用

 今から500年~600年ほど前になると、小さな渡名喜島にも島全体を統一する豪族が出現するようになります。沖縄の歴史の上で彼らは一般にアサ、あるいは按司と呼ばれています。社会の発展とともに、按司たちはやがて自分みずからを他の社会構成員から区別するため、あるいは自己の家族を保護するため、小高い丘にグスクをつくってそこに居住するようになります。
 この時代は全琉的にはほぼ12世紀前後と考えておりますが、渡名喜島にあってはこれより少し遅れて13世紀前後になって、はじめてグスクらしいものが出現すると考えられます。里遺跡はまさにその頃の遺跡ということになります。現在も村の祭事の中心です。

島内随一の信仰地は、渡名喜集落を一望できる丘の上にありました。
















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