農業組合の壕の風景

沖縄の風景 はじめ

2009年04月15日 07:00

高月山園地の展望台から座間味集落に戻る道の途中、注意していなければ見過ごしてしまうほどの小さな碑が道端に建っています。















ここは戦時中、野村正次郎村長ほか多数の村民が集団自決で命を落とした農業組合の壕のあった場所で、その跡地に慰霊碑が建てられているのです。















 集団自決の地 - 現地の看板より引用

 1945年(昭和20年)、3月26日昼近く、座間味村の首脳部(村長、助役、収入役ほか役場職員)とその家族合わせて59名が入った農業組合の壕にて、集団自決が行われ全員が亡くなられました。
 当時、沖縄県民は明治以来、教育を通して言葉や生活習慣等を身につけるよう努力してきて、昭和期に入ってからはそれが加速度的に国家からの押しつけとして強要されました。その反動として米英への異常なまでの憎悪と、それに付随する恐怖心を深く植え付けられました。「集団自決」は、まさに国家がおしつけてきた歴史の総決算だったと言わねばならないかも知れません。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。

この場所で死亡した住民のうち、約半数の26名が小学校六年生以下の子供だったそうで、野村正次郎村長は3人の、宮里盛秀助役も3人の、宮平正次郎収入役は7人もの我が子に手をかけたのち、最後に自ら自害したと言われています。















惨劇の場所となった農業組合の壕は崩れてしまい、現在その姿を見ることはできません。

集団自決を巡る意見は様々ありますのでここでは割愛しますが、座間味島の住民の約半数が犠牲となった戦争の悲劇を忘れてはいけないと思います。

 農業組合の壕の場所はこちらです。

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