真玉橋の風景

沖縄の風景 はじめ

2009年06月21日 07:30

那覇市と豊見城市の間を流れる国場川に、真玉橋(まだんばし)という橋が架かっています。















これだけなら、どこにでもある普通の風景なのですが、気になるのはその橋の側にある石橋の残骸らしきもの。















石橋の残骸らしきものは、現在使われている真玉橋のすぐ側に残されています。















 真玉橋(まだんばし) - 現地の看板より引用

 真玉橋は1522年(嘉靖元年)に首里と島尻地方を結ぶ交通の要として築かれました。その橋は木橋の五連橋で、中央を真玉橋といい、南側が世持橋、北側が世寄橋、両端は名前のない橋でした。1707年(康煕46年)に石橋への改築工事が開始され、翌年完成しました。その後1837年(道光17年)に世寄橋を改築し、その北側へ新たに世済橋を築き六連の石橋になりました。
 真玉橋は大きく美しい曲線をもつアーチを連ね、水流から橋を守るため脚部にはスーチリー(潮切り)を設けるなど、構造的にも景観的にも沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦で破壊されました。
 1996年(平成8年)には、戦後つくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が豊見城市側と那覇市側の双方で見つかりました。戦後、半世紀を経て再び風格ある姿を現した真玉橋を、後世のために保存活用を図るよう住民運動が展開され、その結果、豊見城市側では道路下に一部埋め戻し保存を行い、比較的状態の良いアーチ部分を移築保存しています。

豊見城市教育委員会

橋の側にあった石橋の残骸らしきものは、実は先の発掘調査で見つかった、戦前の真玉橋の一部なのです。















 真玉橋 - 現地の看板より引用

 真玉橋は1522年(嘉靖元年)に首里城ならびに軍事的要所である那覇港及び那覇を防御することを目的として、第二尚氏第三代国王尚真の時代に架けられた橋です。また琉球王府時代には首里と島尻地方を結ぶ交通の要でもありました。
 当初、真玉橋は五連橋の木橋であり、中央を真玉橋、南側に世持橋、北側に世寄橋、両端は名前のない橋でした。1707年(康煕46年)に木橋から石橋への改築工事が開始され、翌年には完成しました。1809年(嘉慶14年)には大雨のため川が氾濫し、世寄橋が破損したため仮の木橋が架けられましたが、大雨により再び破壊されました。その後、1836年(道光16年)に世寄橋を改築し、その北側に新たな橋の世済橋を築き、工事は翌年に終了したといわれています。
 この二度にわたる改修工事を伝える記録として、「重修真玉橋碑文(じゅうしゅうまだんばじひもん)」があります。碑文の裏側には改修工事にかかった費用や人夫数などが記されており、当時の大工事の様子がうかがわれます。
 真玉橋は大きく美しい曲線の5つのアーチが連なり、脚部には川の流れによる水圧を弱めるためにスーチリー(潮切り)が設けられ、構造的にも景観的にも沖縄独特の石造文化を代表する橋でしたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦で破壊されてしまいました。
 1996年(平成8年)には戦後つくられた橋の改修工事に伴う発掘調査によって、戦前の真玉橋が豊見城市側と那覇市側の双方で姿を現しました。
 沖縄戦によって沖縄県内では数多くの文化遺産が失われました。しかし戦後半世紀を過ぎて、再び真玉橋の石橋が私たちにその風格ある姿を現したことによって、当時の石工技術の高さを見ることができ、これまではその姿を写真等でしか見ることができませんでしたが、実際に視覚で確認される貴重な文化遺産としての価値が再認識されました。

 このようなことから、後世のためにも現地保存し、復元・活用できるようにと、1997年(平成9年)に「真玉橋の石橋遺構現地保存推進協議会」が発足し、署名活動等、保存に向けた住民運動が展開されました。その後、学識経験者等で構成する「真玉橋検討委員会」が発足し、真玉橋の保存方法について議論してきました。その結果、豊見城市側の橋は一部埋め戻し保存、一部移設保存という二つの保存方式に決定し、その遺構を保存しています。
 石橋の二度にわたる改修工事を記念して、1837年(道光17年)に建てられた重修真玉橋碑文は、石橋と同様、沖縄戦によって破壊されました。その残存資料は1995年(平成7年)に豊見城市有形文化財に指定され、現在は豊見城市歴史民俗資料展示室に展示されています。真玉橋自治会では1980年(昭和55年)、沖縄戦によって失われた碑文を現公民館前に復元し、石橋の存在を後世に伝えるなどの活動を積極的に展開してきました。真玉橋の石橋は、真玉橋住民さらには豊見城市民の誇りと心のよりどころであり、地域住民の深い愛着とともに歩んできたのです。

どうかすれば気づかずに通り過ぎてしまいそうな石橋の一部ですが、実はこんな深い話があったのです。















 真玉橋(保存されている石橋の一部)の場所はこちら



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