仲宗根豊見親の墓の風景
宮古島市に行ってきたわけですが....
知利真良豊見親の墓から100メートルほど離れた場所に、
知利真良の父親、仲宗根豊見親が建造したといわれる、
仲宗根豊見親の墓があります。
仲宗根豊見親の墓
15世紀末から16世紀初めにかけて、宮古を支配していた仲宗根豊見親が、父親の真誉之子豊見親の霊を弔うために建造したと伝えられています。 墓の構造は、宮古在来の「みゃーか」の形式と、沖縄本島の形式を取り入れた折衷の形となっています。 この時期における宮古と沖縄本島との石造技術の交流を示す墳墓です。 外観は前庭部を石垣で囲み、墓室外面は階段状に仕上げ、上端に石柱列を設けて有ります。 内部は円形になっていて、直径6メートル、高さ2メートル余りのほぼ10畳ほどの広さで、中央に厚さ46センチの石垣が天井まで築かれ、前後2室に仕切られています。手前は棺ならびに副葬品、奥には洗骨後の骨カメの安置所です。仕切中央は幅1.27メートル、高さ1.70メートルの出入り口になっており、かつては観音開きの扉がついていたことを示す上下に各2箇所ずつとどめています。宮古の支配者としての仲宗根豊見親親は1500年、八重山のオヤケアカハチの乱の鎮圧に首里王府軍の先導をつとめ、また島内においては井戸、道路、橋梁等の開さくをすすめたことで知られています。
沖縄県指定史跡
昭和31年2月22日指定
石垣に囲まれた10メートル四方程度の広間があるところは、
知利真良豊見親の墓と似ているのですが、
お墓の正面が階段状になっていることと、
広間の隅に井戸のようなものがあることが特徴です。
階段状の造りになっているところは、
沖縄ではあまり見かけない形かと思います。
インカ帝国の遺跡にも似てますね。
また広間の隅には階段があり、
地下におりていくことができます。
下に水が見えますので、
たぶん井戸じゃないかと思うのですが....
独特な雰囲気のある仲宗根豊見親の墓です。
知利真良豊見親の墓と、
仲宗根豊見親の墓を見てきたわけですが、
その隣にもう一か所、
アトンマ墓とよばれるお墓があり、
この三つを合わせた豊見親墓が、
国の有形文化財として指定されているのです。
これは見に行かなくては....
アトンマ墓に向かうことにします。
「こちらの記事もどうぞ]
知利真良豊見親の墓
アトンマ墓
仲宗根豊見親の墓の場所はだいたいこの辺り
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