東平安名崎灯台 | 東平安名崎の風景

沖縄の風景 はじめ

2013年12月16日 12:00

宮古島に行ってきたわけですが....

宮古島の観光案内で必ずといっていいほど紹介されている、
東平安名崎(ひがしへんなざき)に行ってきました。

東平安名崎公園から歩き始め、
心地よい海風を受けながら、

東平安名崎灯台まで歩いてきました。


灯台の碑

 地元保良集落の人たちが「あらば」と呼ぶ、美しくも危険が潜むこの周辺海域では、以前、度重なる海難事故があった。
 1950年3月6日、山東丸(4000トン)日本船籍は、ビルマ(ミャンマー)方面より食料米を満載し、豪雨の中を日本向け夜間航行中、この「あらぱ」で座礁する。この山東丸を救助に来た、しんとん丸(2000トン)、山陽丸(1600トン)は、同年6月23日昼頃、救助活動中に風速70メートル以上の小型台風エルシーが突如襲来し、三隻とも転覆、沈没し、死亡者と行方不明者がでた。保良集落の住民も献身的な救援に当たるなど、宮古島有史以来の大惨事となった。それ迄にも1948年7月には日本船籍の貨物船、1949年6月には沖縄戦跡の徳進丸(60トン)等がこの海域で遭難している。
 この様な度重なる惨状に、当時保良漁業組合長の砂川寛栄氏(後に旧城辺町議会議長)は、この岬での灯台の必要性を痛感し、米軍統治下の複雑な背景の中で、各機関に陳情、要請を尽力する。1967年4月、日本政府の援助により、遂にこの灯台は完成する。
 その後、船舶の海難事故はなくなり、景勝地の象徴ともなっている。設立以来、周辺海域の安全を誇りに、国の名勝と調和するこの灯台を大切にし、灯台建設に尽力された砂川寛栄氏の功績を讃えると共に、この海域で事故に遭われた多くの犠牲者の御霊を慰め、さらにこの「あらば」海域を航行する全ての船舶の安全を祈願し、ここに「灯台の碑」を建立する。

この東平安名崎灯台が、
周辺海域の安全を見守っているのですね。

東平安名崎灯台がなんだかカッコよく見えます。


ちなみにこの東平安名崎灯台。

入場料150円を支払うことで、
中を見学することができます。

灯台の上から見る東平安名崎はまた絶景、
ぜひ見学することをオススメします。


こちらの階段を使って、
東平安名崎灯台の展望スペースへ上ります。


そう大きな灯台ではないと思うのですが、
グルグル回りながら上ると目が回る.... 

ここでもやはり日頃の運動不足を痛感。


ここから発する灯りが、
船の安全を守っているわけですね。

いつもありがとうございます。


東平安名崎灯台の展望スペースから見た、
東平安名崎の風景はこちら。

絶景です!

東平安名崎が細長い半島のような形であることが、
一目で分かるかと思います。


しかし、この展望スペース、
海風をもろに受けるので風が凄い。

あまりの風の強さに、
手すりから手が離せません。

実は持っていたタオルを飛ばされた....

東平安名崎灯台の展望スペースに上る際、
飛ばされるようなものには注意してください。


海風の音がちょっとうるさいかも知れませんが、
下の動画もご覧ください。

東平安名崎灯台から見る東平安名崎の風景 - YouTube


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東平安名崎公園の風景
マムヤの墓の風景
津波石とパナリの風景
東平安名崎展望台の風景


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