新垣集落区民と伊佐善則、伊佐善俊親子の悲願、県道開削記念碑
中城村に行ってきたわけですが....
普天間から中城にぬける県道35号線を通るとき、
道の途中にある大きな石碑。
石碑があることは前から気づいていたのですが、
この石碑のいきさつを知らなかったので、
ちょっと立ち寄ってみることに。
石碑に刻まれた文字はかなりすり減っており、
ちょっと読みにくい状況なのですが、
隣にある説明文を読んでみると....
県道開削記念碑
かつての新垣集落内の道はほとんど石畳道で、道幅が9尺(約2メートル70センチ)しかなく、馬車がようやく通れるくらいの道幅でした。
自動車が通れないため、集落の外から物資を運ぶときは全て馬の背と人の肩に頼るほかなく、区民は大変困っていました。
その状況を見かねた新垣出身の伊佐善則、善俊親子は村、県議会を動かし、自動車も通れる幅の広い道の実現に向け東奔西走しました。そして伊佐親子の努力と新垣区民の団結により、新垣にとって長年の夢だった県道35号線(旧普天間~与那原線)が開通しました。
この県道の開通記念と伊佐親子の功績をたたえ、昭和9年(1934年)10月に新垣集落の青年団により県道開削記念碑が建てられました。
碑文には新垣地域の困苦の歴史と開通にいたるまでの経緯、伊佐親子の功績を称える内容が記されています。
県道開削記念碑は現在の場所から約100メートルほど東側にありましたが、戦後の県道拡幅工事のため現在の場所に移されました。中城では平成9年(1997年)3月7日に史跡に指定しました。
中城村指定史跡
県道35号線に関する石碑だったのですね。
確かにこの道がなかったとすると、
中城まではかなりの遠回りだし....
それより新垣集落の方からすれば、
生活に直結するほどの問題ですから。
伊佐善則、善俊親子に感謝ですね。
ちなみにこちらの伊佐善俊さん、
第5代中城村長さんなのです。
県道開削記念碑の場所はこの辺り
「沖縄の風景」いかがでしたか? すべての出愛(出会い)に感謝です。
気に入って頂けましたら、
下のボタンをポチッとクリックお願いします!
関連記事