池間遠見番所、池間大橋と大神島が一望できる池間島の展望スポット
宮古島に行ってきたわけですが....
宮古島の北側に位置する池間島、
宮古島から池間大橋を渡ることで行ける島ですが、
その池間島最高の聖域として知られる、
大主神社のすぐ隣に池間遠見番所があります。
池間島の池間遠見番所は、
島の集落のはずれにありますので、
場所はちょっと分かりにくいかもしれません。
池間遠見番所
池間島南端の小高い丘陵上にあって、はるか東方には大神島が、南方には平良の街が望見できるところにある。この遠見には岩盤を利用して円柱状に造られ、登り降りするための石段が数段設けられている。この遠見には1950年(昭和25年)から1951年(昭和26年)頃まで、船の位置を確認するためのピーイイス(方位石:直径20センチ、高さ55センチ、円柱形)が設置されていた。琉球(沖縄)で各諸島に烽火が始められたのは尚賢王時代(1644年)である。伝承によれば、この遠見には庶民からなる遠見番が輪番で任務に就き、沖縄本島を往還する上国船の航行を見守るとともに、近海を通過する船、異国船、漂流船の発見、監視等にあたったといわれている。そして、海上に船影を発見すると昼間は烽火をあげ、夜間にはたいまつをかざして蔵元へ合図を送ったということである。
また、遠見の北東方に見えるスタテイ嶺にはスタテイ番(庶民の輪番制で2人に割り当てられたという)が夜通し火をたいて近海を追加する船の航海安全に備えたと言われている。このスタテイに関しては「ウヤキマーズミガ」の歌謡も残っている。
池間遠見番所に向かう道は、
30メートルほどの長さの石畳になっており、
かなり破損してはいるのですが、
今でもその面影を残しています。
石畳を歩いた先にはちょっとした広場があり、
奥に池間遠見番所に向かう石段が見えます。
この石段を上ると池間遠見番所です。
10メートルから15メートルほど上っていくと....
先島諸島火番盛(遠見番所)
江戸時代、鎖国体制下の1644年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視、通報(烽火)機能を担った遠見番所跡群。先島諸島は琉球列島の最西端に位置し、東シナ海の緊張に直面しており、対外関係と鎖国体制の完成を示す遺跡として重要。
宮古島市5か所(池間、狩俣、島尻、砂川、来間)
2007年(平成19年)3月23日 国指定史跡
石段を上りきった場所が池間遠見番所です。
岩盤を利用してつくられた池間遠見番所は、
4畳半ほどの広さといったところでしょうか。
目の前に青い海が広がり、
とにかく眺めが良いです。
池間島の集落も一望することができます。
目の前には池間漁港と池間大橋、
その向こうに大神島が見えています。
南の方向に目を向けると、
宮古島本島や西平安名崎が見渡せます。
遠見番所として使われていただけあり、
本当に眺めの良い場所です。
観光目的の展望台というわけではありませんが、
この素晴らしい眺めは穴場かもしれませんね。
池間遠見番所の場所はだいたいこの辺り
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