久米島の天后宮、台風で座礁した尚穆王の冊封使、全魁の船団から贈られた、二重の瓦屋根が珍しい菩薩堂

沖縄の風景 はじめ

2018年06月26日 12:00


久米島町に行ってきたわけですが...

久米島の東に位置する真謝集落の一角に、二重の瓦屋根が珍しい、小さなお宮のような建物があります。

天后宮(てんこうぐう)とよばれるこちらの建物、久米島の一周道路沿いにあるのですが、注意して探さないと見過ごしてしまいそうなほど、さりげなく目立たないところが特徴です。


 天后宮

 天后宮は、一名ブサードー(菩薩堂)ともよばれ、本尊に中国の航海安全の神天妃(てんぴ・天后ともいう)を勧請して祀っている。1756年、尚穆王(しょうぼくおう)の冊封のため、中国より来琉途中の冊封使一行(正使全魁、副使周煌、他200名余)の船が台風にあい、真謝港外で遭難した。時の地頭代、喜久村絜聡(きくむらけいそう)をはじめとする島の人々により全員救助され、真謝の蔵元にしばらく滞在して船を修理し、無事に那覇に着き、冊封の儀式を行うことができた。その時の神の助けに感謝して、1759年、尚穆王により堂が創建された。
 工事にあたっては、冊封使一行からも工費銀や扁額(へんがく)、聯(れん)などが寄進された。銀はブサーグムチ(菩薩堂基金)として保管され、年々の祭祀料として明治末まで活用された。堂は三間四方の平入り入母屋造の本瓦葺きで、周囲に雨端(あまはじ・土庇)をめぐらし、屋根は段差を設け、しころ葺風になっている。堂内は正面に仏壇があり、厨子を安置して天妃像を祀ってある。かつては天妃像の左右に千里眼と順風耳の二神を配し、楣(まぐき)には「玉山仙姥(ぎょくざんせんぼ)」の扁額、仏壇左右の柱と入口両側の柱にそれぞれ聯がかかげられていた。

1991年(平成3年)3月 沖縄県教育委員会
1956年(昭和31年)2月22日 県指定有形文化財(建造物) 指定

天后宮の正面には、子供たちの格好の遊び場となっている大きな広場があり、走り回っている子供たちや、木陰で一休みする島の人たちを大勢見かけました。


天后宮を正面から眺めます。小さいながら、しっかり丁寧に造られた建築物であることがわかります。


建物正面にある仏壇には、かつて天妃像の左右に千里眼、順風耳の二神が祀られていたそうですが、今はどちらも見当たらないのだとか。


気づかなければ通り過ぎてしまいそうな、まったく目立たない小さなお宮なのですが、歴史的に見て貴重な建物なのです。


 天后宮の場所はだいたいこの辺り


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