想像以上の規模に驚きを隠せない、城辺町の友利あま井
宮古島に行ってきたわけですが....
インギャーマリンガーデンから500メートルほど離れた場所に、
城辺町(現宮古島市)の友利あま井(がー)と呼ばれる、
自然洞窟の井泉があります。
1667年、1696年に起きた大地震による、
地殻変動が原因でできたといわれています。
城辺町の友利あま井
城辺町(現宮古島市)の字砂川と字友利の境界にあって、友利元島遺跡の西側に隣接する自然洞窟の井泉である。降り口から湧き口までの深さは約20メートル、自然洞窟井泉の規模としては大きく、水量も豊かである。1965年(昭和40年)に城辺で上水道が普及する以前は、この井泉が飲料水を始め、生活を営む上の貴重な水資源であった。水を汲むのは婦女子の日課で、あま井に降りる石段の側面の岩には摩滅してしまったところが数箇所あり、当時の苦労がしのばれる。あま井について、「雍正旧記」(1727年)には「掘年数不明」と記されている。友利、砂川、新里の各元島(旧集落)の住民が、明和の大津波(1771年)以前から現在地への集落移動後も長く利用した井泉である。地域住民の水利用のあり方やその歴史的変遷を知る上でも価値の高い井泉である。
沖縄県指定有形民俗文化財 昭和56年(1981年)3月30日指定
友利あま井に降りる入口はそう大きくないのですが....
石段を降りていくと、
あれ、あれ、こんな大きな縦穴なの?
入口からは想像もつかないような、
大きな自然洞窟に圧倒されます。
洞窟の底まで約20メートルあるといわれています。
この場所に深さ20メートルもある縦穴が、
自然の力でできあがったとは驚きです。
1965年(昭和40年)に簡易水道ができるまで、
地域の女性は毎日この石段を降りて、
水汲みをするのが仕事だったといいます。
あま井に降りる石段の側壁の岩には、
女性たちが手で支えて登ったために、
摩滅してしまったところが数箇所残っているほど、
重労働だったといわれています。
石段を降りた先にも横穴が広がっていたのですが、
その奥は暗くてよく見えませんでした。
この場所にこんな縦穴が、
自然の力だけで出来上がったことも驚きですが、
ここから毎日水を汲んでいた、
当時の女性の苦労も言葉にできません。
城辺町の友利あま井の場所はだいたいこの辺り
[明和の大津波、その他の記事はこちら]
東平安名崎にある津波石とパナリ
宮古島、ヌース゜マー御嶽の風景
伊良部島に残る明和の大津波の爪痕、下地島巨岩と呼ばれる帯岩
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