白幡神社、源頼朝の墓への入り口に建立された、法華堂跡とも呼ばれる源頼朝の持仏堂

沖縄の風景 はじめ

2017年11月23日 12:00


神奈川県に行ってきたわけですが....

神奈川県は鎌倉、鎌倉観光の中心地として知られる鶴岡八幡宮の近くにある、鎌倉幕府の初代征夷大将軍として有名な源頼朝公の墓を訪ねたところ、墓に上る石段のあたりに、法華堂とも呼ばれる白幡神社がありました。


当時、このあたりが源頼朝の館で持仏堂があった場所とされています。


 白幡神社

 源頼朝公を祭神とする。この地はもと源頼朝公居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髪の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され、頼朝公が篤く信仰していた。
 正治元年(1199年)1月13日、頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と呼ばれ、毎年命日には将軍が参詣し仏事を執り行い、多くの武将も参列した。
 その後、鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して祭祀を続け、明治維新に除し寺は白幡神社に改められ、源頼朝公を祭神として今日に至っている。
 現在の社殿は明治維新百年を記念して、昭和45年(1970年)に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものである。

鳥居をくぐってからの白幡神社の様子はこちら。

噂ですが、石段を上ったあとの源頼朝の墓は単なる記念碑で、頼朝公はこちらの白幡神社に眠っているという話もあるとか。

もしかして、こちらに頼朝公が.... ちょっと緊張します。


 白幡神社の場所はこちら


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