神奈川県に行ってきたわけですが....
神奈川県は鎌倉、鎌倉の観光名所として有名な鶴岡八幡宮の近くに、鎌倉幕府の初代征夷大将軍として有名な源頼朝公の墓があります。
頼朝公のお墓は鶴岡八幡宮から路線バスで5分くらいの停留所から、閑静な住宅街を300メートルほど歩いた場所にあるのですが、本当にこんなところに歴史上の人物のお墓なんてあるの?という感じ。
半信半疑な気持ちで歩いていたのですが、住宅街のはずれまでくると何やら神妙な趣の石段が。やっぱり頼朝公のお墓はこちらなのでしょう。
この石段をのぼり鳥居をくぐった先に、あの頼朝公のお墓があるのか.... 緊張します。
石段をのぼると、いきなり目の前に大きな石碑が現れます。こちらが源頼朝公の墓になります。
源頼朝公の墓
源頼朝は治承4年(1180年)平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として元暦2年(1185年)に平家を滅ぼしました。また、鎌倉幕府を大蔵(現在の雪ノ下三丁目付近)に開いて、武家政治の基礎を築きました。
正治元年(1199年)に53歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。
現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪が整備したものとされています。
さっきまで、ここに本当に頼朝公のお墓があるのかと疑ってかかっていたのですが、いや本当にお恥ずかしい、目の前にあるのはまぎれもなく頼朝公のお墓。住宅地のはずれにあるなんて驚きです。
で、もうひとつ気になったのは、源頼朝公の墓のそばにあるもうひとつの石碑。頼朝公のお墓の右側にあるのですが、これはいったい....
頼朝公のお墓のそばに大きな広場があり、石碑はその端のあたりに建てられています。
石碑を間近で見たのですが、刻まれた文字は痛みがひどく、何が書かれているかまでは読み取れません。
実はこの広場、源頼朝公の墓の説明に書かれている、頼朝公が葬られた法華堂の跡地なのです。
頼朝公が葬られ、墓所として厚く信仰された法華堂は、当時この辺りにあったのだそうです。今は跡形も残っていないのですが、歴史を語る上で大事な場所ですので、今も大事に保存されています。
源頼朝の法華堂跡地はこちら
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