アーニーパイルの碑の風景
アーニーパイルは世界的にも有名な従軍記者で、
伊江島で戦場を取材中、
日本軍の機関銃弾に倒れました。
アーニーパイル Ernie Pyle
アーニーパイルは1900年8月3日、アメリカ合衆国インディアナ州ダナで生まれる。インディアナ大学に進学後、ラポーテ・ヘルラドにおいて見習いレポーターとしてキャリアを積む。ロンドンのラフトワッフ爆発の記事などを手がけた後、1942年アメリカ軍に通信員として入隊、北アフリカやイタリアのノルマンディ・ドイツに同行し、戦場の男達の様子を記事にしていく。
1943年、ジャーナリストとして最高の名誉であるピューリッツアー賞を受賞し、一時はアメリカ合衆国に戻るものの、すぐに第77歩兵隊に入隊する。1945年、アメリカ軍の沖縄上陸に同行し、4月16日伊江島に上陸する。4月18日の取材中、日本軍の機関銃弾により生涯を閉じる。
第33代アメリカ合衆国トルーマン大統領もアーニーパイルの死を悼んで、特別のステートメントを発表した。
彼が日本軍の機関銃弾に倒れた場所には、
アメリカ軍の手によりアーニーパイルの碑が建てられ、
現在でも毎年関係者による追悼式が行われています。
アーニーパイルについて
アーニーパイルは兵士の視点から戦争を情緒的に書いて、第二次世界大戦で有名になったジャーナリストである。彼にとって戦争の道具はノートとペン、そしてタイプライターであった。彼の功績を讃えるために在沖在郷軍人会が記念碑を建立し、毎年4月18日に近い日曜日に慰霊祭が行われている。私たち伊江村民は誓う。二度とあの忌まわしい戦争を繰り返さない、平和な世界を築くことを。
2000年7月22日 沖縄サミット並びにアーニーパイル生誕100周年記念 伊江村
アーニーパイルは戦場にあっても、兵士の不安や怒り、喜びや悲しみを愛情をもって報道し続けたと言われており、アーニーパイルの碑には「第77歩兵師団はこの地で、戦友アーニーパイルを1945年4月18日に失う」と記されています。
現在、那覇市ぶんかテンブス館のある場所に、
アーニーパイル国際劇場と名付けられた映画館が建てられ、
多くの人で賑わったそうです。
そしてアーニーパイル国際劇場前の通りは、
劇場の名前にちなんで、
国際通りと呼ばれるようになったのだそうです。
アーニーパイルの碑の場所はこちら
[アーニーパイルの碑、その他の記事はこちら]
アメリカを代表する従軍記者、アーニーパイルの碑
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