沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
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多々名城、花城按司が築城したといわれる、花城ともよばれた連郭式の平山城形式の城.... が見当たらなかった


八重瀬町に行ってきたわけですが....

八重瀬町に今も残る、ハナンダーとよばれる琉球石灰岩の自然橋を見た後、具志頭体育館の方向に坂道を登っていくと、ちょうど道の突き当たりで何かを示す看板を発見。
多々名城、花城按司が築城したといわれる、花城ともよばれた連郭式の平山城形式の城.... が見当たらなかった

多々名城(たたなぐすく)について書かれた看板のようです。
多々名城、花城按司が築城したといわれる、花城ともよばれた連郭式の平山城形式の城.... が見当たらなかった

本 多々名城

 この急な坂道を登りつめた山の頂が多々名城である。多々名城は13世紀の末頃か、あるいは14世紀の初期頃に、花城按司が築城したと言われ、築城したときは花城(はなぐすく)と言われたが、後に多々名城(たたなぐすく)と呼ばれるようになった。この地に花城が築城される以前は、この地には現在の玻名城の集落が存在していた。
 城の規模はおよそ33,000平方メートルもあり、本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、御内原跡というように、各城郭で囲まれている連郭式の平山城形式の城である。
 多々名城については、おもろそうしに十三種ほどのおもろがあり、そのおもろなどからして、代々の花城按司や多々名按司は、勢力を誇り繁栄していたであろうことがうかがえる。
 花城按司、多々名按司は、盛んに海外貿易を行い、素鉄を輸入しそれによって武器をつくり武力を高め、農具をつくってそれを領地の農民に配り農業を盛んにならしめた。その貿易港は、具志頭村と糸満市の境界に位置する「ワタヤー」であった。

実は、この場所に城跡があることは、看板を見るまで知りませんでした。

お~、どんなところなのか見てみたい.... と思ったのですが、周りを見渡しても入り口らしき道が見つかりません。確かに看板のある場所は、丘の上にもう一段何かあるように思えるのですが、木々が茂っており向こう側は見えません。それどころか、入口が見当たらないのでどうにもならない。

まさか、この電柱そばの斜面を登っていくわけではないだろうな.... 探検みたいで楽しそうですが、今回はやめておきます。
多々名城、花城按司が築城したといわれる、花城ともよばれた連郭式の平山城形式の城.... が見当たらなかった

入口が見つからないとどうにもなりません、多々名城の様子は次回のお楽しみということで。あかんべー

沖縄本島 多々名城の看板はこの辺りで見つけた


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Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2018年01月06日   18:00
Comments( 0 ) 八重瀬町
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