沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
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県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

豊見城市が一望出来る高台に、先の大戦における沖縄戦で日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部が置かれた(通称)旧海軍司令部壕があります。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














当時の司令部壕は全長450メートルだったと言われていますが、昭和45年、観光開発事業団により約280メートル分が復元され、現在は公園施設として整備されています。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














施設内には復元された壕の他、発見された遺品や写真などが展示された資料館があります。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














資料館には当時の様子を物語る様々な展示物がありますが、個人的には山田中佐という方が息子に残したと思われる遺書には胸が詰まる思いでした。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














壕の殆どはカマボコ型をしており、掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐えられるよう造られています。持久戦を想定していたと言われています。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














幕僚室には、幕僚が手榴弾で自決した際の破片の跡が、壁に生々しく残されています。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














壕の中は入り組んだ迷路のようになっています。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














当時、壕の中には約4000人の兵士が収容されており、壕のあまりの狭さに立ったまま睡眠休息をとったと言われています。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














兵士は武器らしい武器すら持っていない状況の中、この出口から外へ出撃していき、その殆どは帰ってこなかったとのことです。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














最終的に司令部は米軍に取り囲まれ、退却不可能な状態に追い込まれます。その後必死の抵抗を試みるも、米軍の猛攻撃により、司令官大田實海軍少将ほか幹部6名は昭和20年6月13日、壕内で拳銃自殺を遂げたと言われています。

そして死の直前、司令官であった大田實海軍少将は、この司令官室から海軍次官に宛て、あの062016電報を打電したと言われています。
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














062016電 (以下は電報の現代語訳)

昭和20年6月6日20時16分発。

沖縄根拠地隊司令官より海軍次官へ。

次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告されるべきですが、県は既に通信する力は無く、三二軍(沖縄守備軍)もまた通信する力がないと認められますので、私は県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことが出来ないので、代わって緊急にお知らせ致します。

沖縄に敵の攻撃が始まって以来、陸海軍とも防衛のための戦闘にあけくれ、県民に関しては殆ど顧みる余裕もありませんでした。しかし私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかり出され、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで軍の作戦の支障にならない場所の小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下で彷徨い、風雨にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

しかも若い女性は進んで軍に身を捧げ、看護婦、炊事婦はもとより砲弾運びや斬り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されるからと、親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦に至っては軍の移動に際し、衛生兵が既に出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定されたとき、輸送力のない者は夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

これらをまとめると、陸海軍が沖縄にやって来て以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の実情は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえも全てが焼けてしまい、食べ物も六月一杯を支えるだけということです。沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。

下は沖縄守備第32軍首脳の集合写真

1 海軍根拠地隊司令官 大田 實 少将
2 第32軍司令官 牛島 満 中将
3 参謀長 長 勇 中将
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ














大田少将が海軍次官に宛てた電報には、天皇陛下万歳の言葉も戦線の状況報告も無く、この地上戦で悲惨な目に遭った沖縄県民の苦難の様子が綴られ、平和が訪れたあかつきには沖縄県民に格別の配慮をして頂きたいとの要望で締めくくられています。

折しも今日29日は教科書検定意見撤回を求める県民大会が開催されます。

今回、事の発端となった住民の集団自決に軍の関与があったのかどうか、様々な証言があり意見が分かれるところですのでここでは触れませんが、県民大会が開催される程の事態にまで深刻化しているこの状況を、大田少将はどう思われているのでしょうか。

(補足)大田少将の最終階級は海軍中将とのことです。

沖縄本島 旧海軍司令部壕の場所はこちら


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Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2007年09月29日   04:28
Comments( 11 ) 豊見城市
この記事へのコメント
おはようございます!

時々覗かせていただいています^^
なかなか遠出できないので
はじめさんの
ブログで楽しんでおります。

私のお気に入りに入れさせて頂きました。

また、遊びに行きます
頑張ってください!
Posted by かすみそうかすみそう at 2007年09月30日 09:40
はじめさん、こんにちは!
旧海軍壕、ですね。
子ども時代に1回、娘が2歳の時の
里帰りに1回、入りました。
母親は足がすくんで中に入ることが
出来なくて娘と一緒に壕の外で待っていました。
戦争中に実母が目の前で銃弾に倒れたのを
目撃してから母は血を見たり何か戦争を
思い出す状況になると腰が抜けてしまいます。
PTSD/外傷後ストレス障害ということでしょう。
壕の中は冷たくて過去の遺物という感じは
せず、まだ人の気配がしていました。

今でも南部に行くと重く暗い空気を感じます。
北部とはあきらかに違いますね。
Posted by kirara☆kirara☆ at 2007年09月30日 11:42
こんばんは!とても興味深い内容の記事が素晴らしく!僕のお気に入りに登録させて頂きました。お許しくださいねぇ。
はじめさん、失礼かもしれませんが、僕とお会いしたりする事もある、はじめさんではないでしょうか?・・・。
人違いならごめんなさいねぇ!
これからもよろしくお願いします!
感謝です。 
Posted by まっつぐまっつぐ at 2007年09月30日 19:14
かすみそうさんこんばんは。

ブログを褒めて頂きありがとうございます!
沖縄の風景を勝手気ままに紹介していますので、たまには遊びに来て下さいね。
Posted by はじめはじめ at 2007年09月30日 23:13
kirara☆さんこんばんは。

お母さんは戦時中大変な思いをされたのですね。こんな悲劇はもう二度と起きて欲しくないと思います。
Posted by はじめはじめ at 2007年09月30日 23:16
まっつぐさんこんばんは。

ブログを褒めて頂きありがとうございます。
まっつぐさんのブログを覗きに行ったところ、あのハブの画像が... 私、ヘビが苦手なもので衝撃でした。(涙)

また申し訳ありませんが、私は多分知り合いの"はじめ"さんとは別人だと思いますので。
何か思いっきりローカルな話になってますね。(笑)
Posted by はじめはじめ at 2007年09月30日 23:21
おはようございます。今日ゆっくり、記事を読ませていただきました。大田少将の言葉最後のくだりで本当に涙が出ました。すごく想像できて。時々お客様から、戦争当時のことを聞きます。実際に体験されているかたの証言はとてもリアルでその話と大田少将の話がリンクされてちょっと辛くなりました。

人類の長い歴史を見れば、たえずどこかで紛争や争いがあります。何でかねー。平和を願いながらどうして人は戦えるのかねー。歴史からは学べないのでしょうか?
Posted by ウイングウイング at 2007年10月01日 10:30
こんにちは。
はじめまして。足跡から来ました。
この記事・・・・読んでいてとても胸が締め付けられる思いです。
私の祖父も徴兵されて戦死しました。
父は当時2歳だった為父親の顔を知らずに育ちました。
オバーは母1人子1人で戦中・戦後逆境にも耐え生きてきたと生前常々私達孫に伝えていました。

戦争は容赦なく県民を苦しめたんだと痕跡が実家にはあります。
銃弾で打ち抜かれた(2発)仏壇が今も実家にあります。(実際トートーメーとして使ってます)

県民大会参加は出来ませんでしたが、今後後世のためにも私達が立ち上がらなければまた同じ惨事を繰り返しかねません。
私なりに出来ることをやっていきたいと思ってます。

長々とすいません(^^;
Posted by QooQoo at 2007年10月01日 12:13
はじめさん、また、コメント書いてます。今日何度もこの記事に関連して自分のブログに書こうとしまして、こちらを覗いたりしていたのですが、ついに、何故か書き上げることができずあきらめてしまい、別の記事にしました。

でも機会があれば、こちらの記事にまた、リンクさせていただきたいと思います。

最後の最後と言う時に、沖縄の人々に対する思いやりのこもった言葉を残してくださった大田少将の言葉にその人柄が偲ばれます。
Posted by ウイングウイング at 2007年10月01日 18:00
ウイングさんこんばんは。

私は何故か、沖縄戦の話になると大田少将の電文を思い出します。
立場上、戦況報告などをしなければならないはずの方だったと思うのですが、誰に頼まれた訳でもなく、最後の最後に一人の人間として沖縄の惨状を訴えようとしたことに涙が出てきます。

逆に言えばそれだけ沖縄戦は悲惨だったということではないかと思います。

戦争は嫌いですので軍を肯定する訳ではありませんが、沖縄を思って頂いた大田さん(少将という肩書きは外します)には感謝したいと思います。

しかし、最近の沖縄に対する対応を見ていると、大田さんの願ったこととは全く逆方向に流れている気がします。大田さんはこれをどう思っているのか、と考えることがあります。
Posted by はじめはじめ at 2007年10月02日 03:15
Qooさんこんばんは。

オバーとお父さんはいろいろ苦労されたのですね。何と言っていいのかよく分かりません。
戦争は昔話で終わって欲しいと思います。
Posted by はじめはじめ at 2007年10月02日 03:50
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