沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
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白玉之塔の風景

渡嘉敷島にある戦没者慰霊碑「白玉之塔」
白玉之塔














本 戦没者慰霊碑「白玉之塔」関係資料 - 現地の看板より一部を引用

所在地: 渡嘉敷村字渡嘉敷カーシー原2760-1、渡嘉敷村字渡嘉敷イシッピ原1845番地(儀津崎)

集団自決のあった日: 昭和20年(1945年)3月27日~28日

建立年月日: 昭和26年(1951年)3月28日、7年忌慰霊祭において除幕、のち米軍基地建設に伴い、昭和37年(1962年)4月19日、現在地で新築建立する。

集団自決による死亡者について: 3月27日~29日の間に死亡した一般住民 288柱、村出身の防衛隊員の死亡者総数 42柱、合計 330柱

(補足)集団自決は27日~28日の2日間、ただし戦傷死を考慮して、29日までの死亡者までをカウントしている。また、1950年に発行された沖縄タイムス社「鉄の暴風」に記載されている死亡者数等の具体的な数値のうち、いわゆる「集団自決者数329人」の根拠(出所)については未だに解明できていない。渡嘉敷村に残る昭和32年~34年頃の援護法関係の公簿を基に、発行から57年後の現在において、敢えてそれに誓い数値を抽出するとすれば、上記のデータによる推計が最も穏当なところであろう。

遺族戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受けた戦闘参加の概況(項目) - 集団自決

狭小なる沖縄周辺の離島において、米軍が上陸直前または上陸直後、警備隊長は日頃の計画に基づいて島民を一カ所に集合を命じ、「住民は男、女老若を問わず軍と共に行動し、いやしくも敵に降伏することなく各自所持する手榴弾を以て対抗できる処までは対抗し、癒々と言う時にはいさぎよく死に花を咲かせ。」と自決命令を下したために、住民はその命をそのまま信じ集団自決をなしたるものである。なお沖縄本島内においては個々に米軍に抵抗した後、手榴弾で自決したものもある。

集団自決の地域 座間味島 昭和20年3月26日、渡嘉敷島 昭和20年3月28日、伊江島 昭和20年4月21日

沖縄県生活福祉部援護課

沖縄本島 白玉之塔の場所はこちら


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Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2009年03月29日   07:00
Comments( 0 ) 渡嘉敷村
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