沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
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国標の風景

二六荘から歩いて10分くらいの場所にある西地区緑地公園には、北大東島が日本の領土であることを示す国標が建てられています。
北大東島の国標

本 国標建立の経緯 - 現地の看板より引用

 明治10年頃から、日清両国の間では琉球の所属が公然と論議され、一時は戦争をも辞さない程の険悪な状態になっていた。明治18年の天津条約で一応の危機は回避されたものの、それ以来明治政府は琉球諸島が国防上極めて重要であるとし、その東に位置する未だ所属不明瞭のまま放置されている大東島についても早急に調査して、日本の領土として明確にしておく必要があった。
 また琉球諸島が東洋航路の要地に位置している関係上、18~19世紀の頃から西洋諸国などの艦船の往来が次第に激しくなりつつある中で、領土主権を巡って他国との摩擦を引き起こさないためにも、国際的にその所属を明確にしておく必要があった。そうした背景があって、政府は無人島である北大東島の調査をときの沖縄県令(当時は知事と呼ばず県令と呼んでいた。)西村捨三に命じたのである。そして明治18年8月29日に南大東島に、翌々日の31日には北大東島に木柱の国標が建立され、北大東島が正式に沖縄県の管轄下であり、日本の領土であることを明確にしたのである。
 また、このときの国標建立のための渡航者、石澤兵吾ほか5名が北大東島の最初の公式渡航であり、初めての上陸者である。

海の向こう側にうっすらと見える南大東島にも、同じような国標が建てられています。
北大東島の国標

日本の領土であることを示す国標ですが、実は日本全国でもここ北大東島と、海の向こう側に見えている南大東島の二カ所にしか存在しないのだそうです。これらの島が日本の領土であることを、国内外に向け明確に示さなければならなかったということですね。
北大東島の国標

沖縄本島 国標の場所はこちら



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西港の風景(2011-01-17 08:30)


Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2009年10月19日   08:00
Comments( 2 ) 北大東村
この記事へのコメント
 大東島は八丈島から開拓団が来てからですよね。沖縄と本土の文化が入り混じっている、と聞いたこともあります。おみこしやお地蔵さんもあるとか
Posted by 美江 at 2009年10月20日 21:51
美江さんこんにちは。

南北大東島はある意味ちゃんぷる~文化ですよね。

御神輿もあればお地蔵さんもありますし、
浅沼さんとか奥山さんとか、
沖縄ではあまり見かけない名字の方も大勢いらっしゃいます。

島の上側(東京など)から来られた方々と、
島の左側(沖縄など)から来られた方々がいらっしゃるようです。
Posted by はじめ at 2009年10月21日 13:50
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