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勝連城跡、一の曲輪と玉ノミウヂ御嶽の風景
うるま市に行ってきたわけですが....
ユネスコの世界遺産リストに登録されている、
勝連城跡に行ってきました。
勝連城跡の最上部にあたる、
一の曲輪に向かうことにします。
一の曲輪はこちらの石段を上って行きます。
石段の表面はかなりデコボコしていますので、
足を滑らさないよう気をつけてください。
目の前の最後の石段を上っていくと....
勝連城跡の最上部、
一の曲輪に到着です。
一の曲輪
一の曲輪は、1965年(昭和40年)から数回にわたって発掘調査が行われ、いろいろなことが分かりました。
岩盤をけずって平坦にするなど、大がかりな土木工事を行い、瓦ぶきの建物があったことが分かっています。多くのグスク(城)の中で瓦ぶきの建物があったのは、現在のところ勝連城のほかには首里城、浦添城だけです。
出入口の門付近から唐草様(からくさよう)の浮き彫りのついたアーチ石の一部が発見されており、装飾を施した豪壮なアーチ門であった可能性があります。
一の曲輪は勝連城跡の最上部なので、
城の全景が見渡せます。
手前に見えるのが二の曲輪、
その奥に見えるのが三の曲輪です。
この場所から下を眺めると、
城の構造がどうなっているか一目で分かりますね。
一の曲輪の中央部分に、
玉ノミウヂ御嶽(たまのみうぢうたき)とよばれる霊石があります。
この石は勝連城を守る霊石とされており、
穴の中でノロ(琉球の巫女)が祈りをささげたといわれます。
今は何も残されていない一の曲輪ですが、
当時としては珍しい瓦ぶきの建物が存在したなど、
琉球の中でもかなり繁栄した城であったといえます。
勝連城、最後の城主 阿麻和利
北谷間切屋良(ちゃたんまぎりやら、嘉手納町)で生まれた阿麻和利(あまわり)は、すぐれた才能の持ち主で、勝連按司(かつれんあじ)に仕えました。領民の信望を得た阿麻和利は、9代城主、茂地附(もちづき)にかわって城主となると、本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、この勝連を大いに繁栄させたと伝承されています。その様子を沖縄の古謡「おもろさうし」に、次のように謡われています。
一 かつれんわ なおにきや たとゑる やまとの かまくらに たとゑる
又 きむたかは なおにきや
(勝連は、なんにたとえようか、京都や鎌倉にたとえる 又 気高き勝連は、なんにたとえよう)
一 かつれんの あまわり とひやくさ ちよわれ
又 きむたかの あまわり
又 かつれんと にせて
又 きむたかと にせて
(勝連の阿麻和利、千年もこの国を治めよ、又 気高き按司阿麻和利よ、又 勝連にふさわしく
又 きむたかの名にふさわしく)
若くして勝連の按司となった阿麻和利は、1458年、宿敵護佐丸(ごさまる)を討ち、天下の統一を夢見たが、王府軍に攻められて落城し、廃城になったといわれています。
護佐丸・阿麻和利の乱
勝連城最後の城主、阿麻和利も、
この場所から城下の様子を見ていたかも知れません。
[勝連城跡に関する記事はこちら]
四の曲輪
四の曲輪から三の曲輪へ
三の曲輪
二の曲輪とウシヌジガマ
「沖縄の風景」いかがでしたか? すべての出愛(出会い)に感謝です。
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ユネスコの世界遺産リストに登録されている、
勝連城跡に行ってきました。
勝連城跡の最上部にあたる、
一の曲輪に向かうことにします。
一の曲輪はこちらの石段を上って行きます。
石段の表面はかなりデコボコしていますので、
足を滑らさないよう気をつけてください。
目の前の最後の石段を上っていくと....
勝連城跡の最上部、
一の曲輪に到着です。
一の曲輪
一の曲輪は、1965年(昭和40年)から数回にわたって発掘調査が行われ、いろいろなことが分かりました。
岩盤をけずって平坦にするなど、大がかりな土木工事を行い、瓦ぶきの建物があったことが分かっています。多くのグスク(城)の中で瓦ぶきの建物があったのは、現在のところ勝連城のほかには首里城、浦添城だけです。
出入口の門付近から唐草様(からくさよう)の浮き彫りのついたアーチ石の一部が発見されており、装飾を施した豪壮なアーチ門であった可能性があります。
一の曲輪は勝連城跡の最上部なので、
城の全景が見渡せます。
手前に見えるのが二の曲輪、
その奥に見えるのが三の曲輪です。
この場所から下を眺めると、
城の構造がどうなっているか一目で分かりますね。
一の曲輪の中央部分に、
玉ノミウヂ御嶽(たまのみうぢうたき)とよばれる霊石があります。
この石は勝連城を守る霊石とされており、
穴の中でノロ(琉球の巫女)が祈りをささげたといわれます。
今は何も残されていない一の曲輪ですが、
当時としては珍しい瓦ぶきの建物が存在したなど、
琉球の中でもかなり繁栄した城であったといえます。
勝連城、最後の城主 阿麻和利
北谷間切屋良(ちゃたんまぎりやら、嘉手納町)で生まれた阿麻和利(あまわり)は、すぐれた才能の持ち主で、勝連按司(かつれんあじ)に仕えました。領民の信望を得た阿麻和利は、9代城主、茂地附(もちづき)にかわって城主となると、本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、この勝連を大いに繁栄させたと伝承されています。その様子を沖縄の古謡「おもろさうし」に、次のように謡われています。
一 かつれんわ なおにきや たとゑる やまとの かまくらに たとゑる
又 きむたかは なおにきや
(勝連は、なんにたとえようか、京都や鎌倉にたとえる 又 気高き勝連は、なんにたとえよう)
一 かつれんの あまわり とひやくさ ちよわれ
又 きむたかの あまわり
又 かつれんと にせて
又 きむたかと にせて
(勝連の阿麻和利、千年もこの国を治めよ、又 気高き按司阿麻和利よ、又 勝連にふさわしく
又 きむたかの名にふさわしく)
若くして勝連の按司となった阿麻和利は、1458年、宿敵護佐丸(ごさまる)を討ち、天下の統一を夢見たが、王府軍に攻められて落城し、廃城になったといわれています。
護佐丸・阿麻和利の乱
勝連城最後の城主、阿麻和利も、
この場所から城下の様子を見ていたかも知れません。
[勝連城跡に関する記事はこちら]
四の曲輪
四の曲輪から三の曲輪へ
三の曲輪
二の曲輪とウシヌジガマ
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