沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
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識名園、前の一番座と小さな鉄片

那覇市の識名園に行ってきたわけですが....

識名園の正殿ともいえる御殿(ウドゥン)は、
中に入って見学することができます。
識名園 御殿

識名園の御殿には決まった入口はなく、
どこからでも入ることができます。

前の一番座とよばれる部屋の正面から、
中に入ることにします。
識名園 前の一番座

1800年、尚温王の冊封使は、
この前の一番座とよばれる部屋で、
お茶のもてなしを受けたといわれています。
識名園 尚温王

前の一番座から廊下を進んでいくと....
識名園 冊封使

二番座、三番座の部屋につながります。
識名園 庭園

これらの部屋から、
外の廻遊式庭園が眺めるようになっています。
識名園 廻遊式庭園

こうして静かな場所から外を眺めていると、
心が癒されますね。
識名園 第二次世界大戦

で、その部屋の片隅に、
ポツンと展示されている小さな鉄片。

....何、この鉄片。
識名園 世界遺産

パッと見、ただの小さな鉄片なのですが、
なぜわざわざケースに入れて展示しているのかというと....

識名園 沖縄戦 識名園の悲しい歴史を物語る鉄片

 この鉄片は園内で拾われたものです。砲弾の破片ではないかと思われます。現在の識名園は、去る第二次世界大戦末期、いわゆる沖縄戦に巻き込まれ、一度は全てを失いました。そして20年を超える歳月と、約8億円にも上る予算を費やし、1995年(平成7年)に至り、ようやく皆様にご覧いただけるまでに整備されたのです。
 1945年(昭和20年)4月30日ごろ、アメリカ軍の艦砲は早朝から識名園を標的にしました。たった一日間の砲撃で、すべての木々が失われ、御殿も池も破壊し尽くされてしまいました。日本軍の重砲陣地の砲弾が森の中に隠されていたため、これらが誘爆してしまったことも、より一層無残な破壊をもたらすことになりました。その跡には大きな穴があちこちに開けられ、でこぼこの地面だけが残されていたのでした。
 この年の3月26日、池宮城秀意さんたちは、陸軍病院識名分院の壕を掘るため識名園に配置され、5月8日までここで過ごしました。その間の様子は、池宮城さんの著書「沖縄の戦場に生きた人たち」に詳しく記されています。勧耕台(かんこうだい)とガラサー森の間には、今も池宮城さんたちの堀った壕の一部が残されています。



静かな場所で庭を眺めて、
心が癒されるなあ、と思っていたら....

悲しいかな、
ここにも戦争の爪痕が残されていたわけです。


[識名園のその他の記事はこちら]
通用門の風景
正門の風景
育徳泉の風景
御殿の風景
御殿台所に見る先人の知恵
大石橋と小石橋の風景
六角堂の風景


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Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2012年10月09日   08:30
Comments( 0 ) 那覇市
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