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松田和三郎翁と安里積千代先生の像の風景
鰹漁業創始功労記念碑のある座間味村役場から100メートルほど行ったところに、座間味小中学校があります。

座間味小中学校の正門をくぐってすぐの場所に、座間味村出身の著名人である松田和三郎さん、安里積千代さんの像があります。

松田和三郎の像 - 像の説明文より引用
松田和三郎翁は座間味村初代村長で、沖縄県の鰹(かつお)漁業創始者として沖縄県鰹漁業創業100年の礎を築き、今なお「キラマガツー」の名声を残す偉大な功労者である。
嘉永6年(1853年)、座間味村字座間味アサギ家に生まれ、命名は宮平樽金と称していたが、37才のときに松田和三郎と改名した。明治12年、26才のとき、首里座間味地頭家で修養し、阿佐・阿真村掟、首里大屋子と経て、44才で座間味間切長に任命され、17年にわたり座間味村の自治行政に秀逸した業績を残した。
松田和三郎翁は、先見的視野で将来を展望し、教育及び産業の両面から施策を行い、人材育成にも力を入れ、教育村としての村風をつくり、その精神は後世に受け継がれ、多くの人材を輩出する基礎を築いた。また産業面では、明治41年(1908年)の初代座間味村長就任とともに、台風非難していた宮崎県下の鰹漁船を入手し、島の青壮年を宮崎県へ派遣し、その漁労法や製造法を修得せしめ、鰹漁業を沖縄県下に広める偉業を成し遂げた。その功績を讃え、県内間切長初の自治功労者として藍綬褒章を受賞、晩年の大正9年には沖縄水産功労賞を授与された。
松田和三郎翁は大正12年(1923年)、享年70才で天寿を全うされたが、大正11年に座間味村役場中庭に建立された鰹漁業創始功労記念碑が、往時を偲ぶ唯一の記念碑として、私たちに遠大な夢を語りかけている。

安里積千代の像 - 像の説明文より引用
安里積千代先生は明治36年(1903年)、本校第五代校長、安里積勲の長男として座間味村字座間味アサト家に生を得た。教育一家の家風の中でその精神や姿勢を受け継ぎ、勇躍飛翔の意志で旧制県立一中(現在の首里高校)に進学し、特待生として県立一中を卒え、上京し東京専売局に入社した。しかし向学心を押さえることができず、勤労苦学生として日本大学法文学部法文学科夜間部に進学し、三年次在学中に難関の司法試験に合格、政治家としての道を自ら拓き、戦前は東京・台湾で弁護士として活躍した。
戦後、沖縄に戻り、八重山群島知事、沖縄群島議会議員、琉球政府立法院議員及び議長として、自治権の拡大や祖国復帰の実現に多大な功績を残した。
特筆すべきことは、米国施策下の立法員議長時代の土地強制収用や軍用地料一括払い等の政治的課題闘争で、対米折衝団団長として、その理路整然とした弁舌と毅然とした姿勢で米国政府高官らと対等に渡り合い、沖縄県民へ勇気と自信を与えたことである。祖国復帰後は自らの政治的信念で国政に参画され、衆議院議員として活躍し、勲二等瑞宝章、沖縄県自治功労賞、法曹在職五十年表彰等、数々の受賞をされた。安里積千代先生の83年の足跡は我が故郷、我が母校の誇りであり、偉大な先達として肝に銘じ、目標としたいものである。
座間味小中学校では、二人の偉人が子供たちの成長を優しく見守っています。

松田和三郎翁と安里積千代先生の像の場所はこちら
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座間味小中学校の正門をくぐってすぐの場所に、座間味村出身の著名人である松田和三郎さん、安里積千代さんの像があります。

松田和三郎翁は座間味村初代村長で、沖縄県の鰹(かつお)漁業創始者として沖縄県鰹漁業創業100年の礎を築き、今なお「キラマガツー」の名声を残す偉大な功労者である。
嘉永6年(1853年)、座間味村字座間味アサギ家に生まれ、命名は宮平樽金と称していたが、37才のときに松田和三郎と改名した。明治12年、26才のとき、首里座間味地頭家で修養し、阿佐・阿真村掟、首里大屋子と経て、44才で座間味間切長に任命され、17年にわたり座間味村の自治行政に秀逸した業績を残した。
松田和三郎翁は、先見的視野で将来を展望し、教育及び産業の両面から施策を行い、人材育成にも力を入れ、教育村としての村風をつくり、その精神は後世に受け継がれ、多くの人材を輩出する基礎を築いた。また産業面では、明治41年(1908年)の初代座間味村長就任とともに、台風非難していた宮崎県下の鰹漁船を入手し、島の青壮年を宮崎県へ派遣し、その漁労法や製造法を修得せしめ、鰹漁業を沖縄県下に広める偉業を成し遂げた。その功績を讃え、県内間切長初の自治功労者として藍綬褒章を受賞、晩年の大正9年には沖縄水産功労賞を授与された。
松田和三郎翁は大正12年(1923年)、享年70才で天寿を全うされたが、大正11年に座間味村役場中庭に建立された鰹漁業創始功労記念碑が、往時を偲ぶ唯一の記念碑として、私たちに遠大な夢を語りかけている。

安里積千代先生は明治36年(1903年)、本校第五代校長、安里積勲の長男として座間味村字座間味アサト家に生を得た。教育一家の家風の中でその精神や姿勢を受け継ぎ、勇躍飛翔の意志で旧制県立一中(現在の首里高校)に進学し、特待生として県立一中を卒え、上京し東京専売局に入社した。しかし向学心を押さえることができず、勤労苦学生として日本大学法文学部法文学科夜間部に進学し、三年次在学中に難関の司法試験に合格、政治家としての道を自ら拓き、戦前は東京・台湾で弁護士として活躍した。
戦後、沖縄に戻り、八重山群島知事、沖縄群島議会議員、琉球政府立法院議員及び議長として、自治権の拡大や祖国復帰の実現に多大な功績を残した。
特筆すべきことは、米国施策下の立法員議長時代の土地強制収用や軍用地料一括払い等の政治的課題闘争で、対米折衝団団長として、その理路整然とした弁舌と毅然とした姿勢で米国政府高官らと対等に渡り合い、沖縄県民へ勇気と自信を与えたことである。祖国復帰後は自らの政治的信念で国政に参画され、衆議院議員として活躍し、勲二等瑞宝章、沖縄県自治功労賞、法曹在職五十年表彰等、数々の受賞をされた。安里積千代先生の83年の足跡は我が故郷、我が母校の誇りであり、偉大な先達として肝に銘じ、目標としたいものである。
座間味小中学校では、二人の偉人が子供たちの成長を優しく見守っています。

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