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沖縄陸軍病院南風原壕で思い出した事
南風原町にある黄金森(こがねもり)野球場の裏手には、戦時中病院として使用された沖縄陸軍病院南風原壕跡があります。

黄金森陸上競技場の駐車場にある小さな案内板を目印に壕跡へ向かいます。入口までは250m程度歩きます。

壕跡へ向かう途中、20号壕出口の前を通ります。壕入口に向かうため、更に奥へ歩いていきます。

壕入口を目指し、遊歩道を歩いていきます。

2007年6月より一般公開が始まった20号壕の入口に着きました。

「沖縄陸軍病院南風原(はえばる)壕群20号」 - 現地の看板より引用。
20号は第二外科の中心的な壕で、患者の病室、手術場、勤務者室として使用されました。北側に隣接する19号や南側に隣接する21号と中央部で連結した貫通壕でした。
西口から十字路までの左側壁沿いには軍医と衛生兵、看護婦用の二段ベットが設けられ、薬品箱や医療器具などが置かれていました。4月中旬からは中央部の十字路が手術場となり、ランプのほの暗い灯りで、麻酔なしの手術が行われたのです。それは傷口からの炎症を防ぐため手足を切断する患部手術が殆どでした。十字路から21号につながる通路には戸板が並べられ、それが女子学徒たちの休憩所でした。十字路から東口までの右側壁沿いには幅約90センチメートルの棚が二段あり、入院患者のベットとして使われていました。
気管を切開し、喉からピューピューと息がもれる患者、下あごのない患者、火炎放射器で全身を焼かれた患者など、直視出来ないほどの重症を負った患者が収容されていました。
1994年から行われた考古学的発掘調査によって、壕の長さが約70m、高さほぼ1.8m、床幅1.8mで構築されたことや、東口外側で地中に隠すように埋められた多数の医薬品類が確認されています。壕の壁や天井にはツルハシで掘った跡が残り、床面にはほぼ90cmおきに坑木を設置する柱穴があります。坑木の一部は焼けて炭化していますが、現在も残っています。壁や天井も黒く焼けこげており、これは病院の南部撤退後、米軍の火炎放射攻撃によって壕内が火災状態になったためと見られています。なお十字路付近の天井部分には、朝鮮人兵士が書いたと考えられる文字が刻まれています。
- 南風原文化センター 2007年
壕の中を見学しようと思い、20号壕入口の受付を訪ねたのですが人影がありません。受付の案内をよく見てみると、内部の見学は完全予約制とのことでした。私は予約なしで壕を訪ねたため、今回は内部の様子を知ることは出来ませんでした。
仕方がないので、20号壕入口の案内板にある内部の写真を撮影しました。






20号壕入口の側には憲法九条の碑が建てられています。

近くに24号壕の入口がありましたが、まだ整備されていないので一般公開されていないようです。

20号壕入口にある看板の説明文を読んでいたとき、昔のことを思い出していました。
私がまだ小さな頃、実家の近くに小さな病院がありました。その病院の先生は小柄で年配の方でしたが、話し方が乱暴で対応も荒々しく、何かにつけすぐに注射を打ってくるものですから、子供の私にとっては恐怖以外の何者でもありませんでした。私が何か悪さをした際、親が「○○病院に連れて行って先生に看てもらうよ!」と言うとすぐに泣いて謝ったという程ですから、よほど怖かったのだろうと思います。
子供だったので記憶が曖昧なのですが、先生の口癖は「こんなもの怪我のうちに入らない」で、何で怪我をして病院に来ているのに怪我でないのか、と頭にきたことを覚えています。
後で知ったのですが、先生は元軍医で、戦時中相当な思いをしながら生き残った方だとのことでした。知り合いの話では、先生は滅多に酒を飲まないのだが、飲むと必ず当時のことを思い出していたようで、最後はいつも「助けることが出来ず済まなかった」と号泣していたそうです。子供の頃から怖い人、というイメージしかなかった先生でしたが、その話を初めて聞かされたときは申し訳ない気持ちで一杯でした。
20号壕の出口は黄金森野球場を向いています。彼らには今の世の中がどう見えているのでしょうか。

沖縄陸軍病院南風原壕の場所はこちら
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黄金森陸上競技場の駐車場にある小さな案内板を目印に壕跡へ向かいます。入口までは250m程度歩きます。
壕跡へ向かう途中、20号壕出口の前を通ります。壕入口に向かうため、更に奥へ歩いていきます。
壕入口を目指し、遊歩道を歩いていきます。
2007年6月より一般公開が始まった20号壕の入口に着きました。

20号は第二外科の中心的な壕で、患者の病室、手術場、勤務者室として使用されました。北側に隣接する19号や南側に隣接する21号と中央部で連結した貫通壕でした。
西口から十字路までの左側壁沿いには軍医と衛生兵、看護婦用の二段ベットが設けられ、薬品箱や医療器具などが置かれていました。4月中旬からは中央部の十字路が手術場となり、ランプのほの暗い灯りで、麻酔なしの手術が行われたのです。それは傷口からの炎症を防ぐため手足を切断する患部手術が殆どでした。十字路から21号につながる通路には戸板が並べられ、それが女子学徒たちの休憩所でした。十字路から東口までの右側壁沿いには幅約90センチメートルの棚が二段あり、入院患者のベットとして使われていました。
気管を切開し、喉からピューピューと息がもれる患者、下あごのない患者、火炎放射器で全身を焼かれた患者など、直視出来ないほどの重症を負った患者が収容されていました。
1994年から行われた考古学的発掘調査によって、壕の長さが約70m、高さほぼ1.8m、床幅1.8mで構築されたことや、東口外側で地中に隠すように埋められた多数の医薬品類が確認されています。壕の壁や天井にはツルハシで掘った跡が残り、床面にはほぼ90cmおきに坑木を設置する柱穴があります。坑木の一部は焼けて炭化していますが、現在も残っています。壁や天井も黒く焼けこげており、これは病院の南部撤退後、米軍の火炎放射攻撃によって壕内が火災状態になったためと見られています。なお十字路付近の天井部分には、朝鮮人兵士が書いたと考えられる文字が刻まれています。
- 南風原文化センター 2007年
壕の中を見学しようと思い、20号壕入口の受付を訪ねたのですが人影がありません。受付の案内をよく見てみると、内部の見学は完全予約制とのことでした。私は予約なしで壕を訪ねたため、今回は内部の様子を知ることは出来ませんでした。
仕方がないので、20号壕入口の案内板にある内部の写真を撮影しました。
20号壕入口の側には憲法九条の碑が建てられています。
近くに24号壕の入口がありましたが、まだ整備されていないので一般公開されていないようです。
20号壕入口にある看板の説明文を読んでいたとき、昔のことを思い出していました。
私がまだ小さな頃、実家の近くに小さな病院がありました。その病院の先生は小柄で年配の方でしたが、話し方が乱暴で対応も荒々しく、何かにつけすぐに注射を打ってくるものですから、子供の私にとっては恐怖以外の何者でもありませんでした。私が何か悪さをした際、親が「○○病院に連れて行って先生に看てもらうよ!」と言うとすぐに泣いて謝ったという程ですから、よほど怖かったのだろうと思います。
子供だったので記憶が曖昧なのですが、先生の口癖は「こんなもの怪我のうちに入らない」で、何で怪我をして病院に来ているのに怪我でないのか、と頭にきたことを覚えています。
後で知ったのですが、先生は元軍医で、戦時中相当な思いをしながら生き残った方だとのことでした。知り合いの話では、先生は滅多に酒を飲まないのだが、飲むと必ず当時のことを思い出していたようで、最後はいつも「助けることが出来ず済まなかった」と号泣していたそうです。子供の頃から怖い人、というイメージしかなかった先生でしたが、その話を初めて聞かされたときは申し訳ない気持ちで一杯でした。
20号壕の出口は黄金森野球場を向いています。彼らには今の世の中がどう見えているのでしょうか。


この記事へのコメント
野戦病院の跡地ですか。戦跡めぐりは、いつ見ても胸が締め付けられます。ひめゆりの方たちも、こちらで負傷兵の看病をなさったんですよね。 戦争経験者にとっては、足を踏み入れたくない場所でしょう。
Posted by 美江
at 2007年09月10日 15:17

野戦病院の跡地ですか。戦跡めぐりは、いつ見ても胸が締め付けられます。ひめゆりの方たちも、こちらで負傷兵の看病をなさったんですよね。 戦争経験者にとっては、足を踏み入れたくない場所でしょう。
Posted by 美江
at 2007年09月10日 15:18

美江さんこんにちは。
聞いたところでは、現在公開されている20号壕の他にも数箇所倒壊している壕があり、そこからは未だに人骨が発見されるのだそうです。
60年以上経っているはずなのに、まだ戦争は終わっていないようにも思えます。
聞いたところでは、現在公開されている20号壕の他にも数箇所倒壊している壕があり、そこからは未だに人骨が発見されるのだそうです。
60年以上経っているはずなのに、まだ戦争は終わっていないようにも思えます。
Posted by はじめ at 2007年09月11日 14:23
ちょうどここを紹介してほしいと思っていたのでとても嬉しく思います。
ここ何年も黄金森を探索し壕入り口や飯あげの道を探し回ったとをおもいだします。
壕内の図面などは、文化センターで手に入れてますが、公開の計画があることは知っていたので、毎年、何時になるかと南風原役場へ問い合わせていました。
6月から予約して9月1日にいってきました。
内部は、砂岩に近く落盤のおそれの比較的少ない部分をまず公開したとおもわれます。
ほんの数十メートルしかありませんが他の戦跡を訪れてきた方には、ぜひ見学してほしいところです。
ひめゆり学徒隊や32軍、陸軍病院や県司令部の動きがしのばれる重要なポイントです。
うちなんちゅうの方には、辛いことも多いのですが、事実を知ることは、とても重要です。
糸数壕とは違いLEDの懐中電灯をただで貸してもらえます。予約でしか入れませんがガイドさんがつきます。私たちの時は、ガイドさんから「平和のため」という気持ちが伝わり共感をいたしました。
ひめゆりの塔ほど派手ではありませんが皆さんも訪れてみて下さい。
ここ何年も黄金森を探索し壕入り口や飯あげの道を探し回ったとをおもいだします。
壕内の図面などは、文化センターで手に入れてますが、公開の計画があることは知っていたので、毎年、何時になるかと南風原役場へ問い合わせていました。
6月から予約して9月1日にいってきました。
内部は、砂岩に近く落盤のおそれの比較的少ない部分をまず公開したとおもわれます。
ほんの数十メートルしかありませんが他の戦跡を訪れてきた方には、ぜひ見学してほしいところです。
ひめゆり学徒隊や32軍、陸軍病院や県司令部の動きがしのばれる重要なポイントです。
うちなんちゅうの方には、辛いことも多いのですが、事実を知ることは、とても重要です。
糸数壕とは違いLEDの懐中電灯をただで貸してもらえます。予約でしか入れませんがガイドさんがつきます。私たちの時は、ガイドさんから「平和のため」という気持ちが伝わり共感をいたしました。
ひめゆりの塔ほど派手ではありませんが皆さんも訪れてみて下さい。
Posted by kenshin at 2007年09月12日 19:25
kenshinさんこんばんは。
今回、予約なしで現地を訪れたものですから、中の様子は看板の写真で確認したのみです。20号、24号の他にも数カ所、壕の調査が行われているようなのですが、現在どのような状況なのかよく分かりません。地盤が弱いということであれば、安全のため今後公開されるかどうかも不明ですね。
目立たない場所にある戦跡ですが、悲しい歴史を持つ場所です。
今回、予約なしで現地を訪れたものですから、中の様子は看板の写真で確認したのみです。20号、24号の他にも数カ所、壕の調査が行われているようなのですが、現在どのような状況なのかよく分かりません。地盤が弱いということであれば、安全のため今後公開されるかどうかも不明ですね。
目立たない場所にある戦跡ですが、悲しい歴史を持つ場所です。
Posted by はじめ at 2007年09月13日 01:33
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