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2008年06月22日

首里城公園の風景(その10)

首里城正殿の二階に上がると、中央部には格式の高い儀式の際に使われた御差床(うさすか)があり、一階の御差床と比べ天井も高く豪華絢爛な装飾が施されています。
御差床














首里城正殿の御差床は一階にもあるのですが、このように一階と二階の同じ場所に御差床があるのは極めて珍しいのだそうです。

かつて首里城正殿の二階には、中国皇帝より贈られた御書の扁額(へんがく)が九枚掲げられていたそうです。これらの扁額は琉球王国が解体した後、首里城正殿から別の場所に保管されていたのですが、去った沖縄戦で焼失してしまいました。現在はそのうち三枚が復元され、正殿二階に掲げられています。

中山世土(ちゅうざんせいど)は清朝(1644~1912)の第四代皇帝康煕帝(こうきてい)から尚貞王(しょうていおう)に贈られたもので、平成7年11月に復元されました。「中山は代々、琉球国王の国である。」という意味です。
扁額














輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)は、第五代雍正帝(ようせいてい)から尚敬王(しょうけいおう)に贈られたもので、平成14年9月に復元されました。「琉球が幸せであることを祈っている。」という意味です。
扁額














永祚瀛壖(えいそえいぜん)は、第六代乾隆帝(けんりゅうてい)から尚敬王に贈られたもので、平成14年9月に復元されました。「海の向こうにある琉球を永く幸いに治めよ。」という意味です。
扁額














これら三代の皇帝は清朝が一番栄えていた時代の人で、三人とも政治家としてだけでなく、文化人としても優れた人だったと伝えられています。

康熙帝から贈られた扁額は本人の筆跡や落款を再現して復元されていますが、雍正帝、乾隆帝から贈られた扁額は明治時代、沖縄に赴任した役人が目撃したとの記録はあるものの、写真や絵図などの資料が全く残っていなかったため、筆跡と落款に関しては中国紫禁城内で両皇帝直筆の扁額や古文書から偏や旁を分析して筆跡を推定し、落款は皇帝の扁額に押されていた印影を参考にして復元されたそうです。
扁額














また扁額の形については、その記録や国内に現存する琉球関係の扁額を調査、朱漆に金武文字で、周囲の額木には黒漆に炎の珠を取り合う龍を箔絵で描いた模様とし、漆塗りは古文書を元にして琉球王国時代の漆塗りの技法が再現されています。
御差床














これら扁額を復元するため、県内外の歴史、美術工芸の研究家や書家、彫刻家、漆芸家など、大勢の専門家の協力があったのだそうです。

思わず見過ごしてしまいそうな三枚の扁額ですが、このような努力で復元されたことをお忘れなく。



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2008年06月10日

首里城公園の風景(その9)

首里城正殿の中に入るには、正殿に向かって右側にある南殿・番所から入場します。左側の二階建てが南殿、右側の一階平屋が番所です。
南殿・番所














本 南殿・番所 - 現地の看板より引用

 南殿(なんでん)は主に日本風の儀式や薩摩の役人達の接待所として、番所(ばんどころ)は首里城に登城してきた役人達の取次場所でした。現在は王朝時代に製作された漆器、絵画等など美術工芸品の展示室として利用されています。

展示室として利用されている南殿・番所は撮影禁止になっていますので、残念ながら内部の様子を紹介することはできません。
正殿














南殿・番所から、国王が日常の執務を行った建物である書院(しょいん)、王子などの控所であった鎖之間(さすのま)を通り抜け、正殿の一階に到着します。書院、鎖之間とも撮影禁止となっていますので、こちらも残念ながら内部の様子を紹介することはできません。
正殿














正殿一階の床には、正殿の遺構である石積みを見ることができます。
正殿














本 首里城正殿の遺構 - 現地の看板より引用

 首里城正殿は創設以来、戦火や失火により四度の焼失と再建をくり返しています。下に見える石積みは、焼失や再建をくり返した首里城正殿の遺構です。現在の首里城正殿は本来の遺構を保護するため、当時より約70センチほどかさ上げして建築されています。

正殿一階は国王自ら政治や儀式を執り行っていたところで、下庫理(しちゃぐい)と呼ばれていたそうです。そして一階広間中央の一段高い床が、国王の玉座である御差床(うさすか)です。
御差床














本 御差床 - 現地の看板より引用

 中央の一段高い床が正殿で行われる政治や儀式の際、国王が出御する玉座の御差床(うさすか)である。この裏側には二階に通じる階段があり、国王はこの階段を下りて御差床についた。左右には国王の子や孫が着座した平御差床(ひらうさすか)がある。

平御差床の床の間には麒麟、鳳凰の絵が掛けられています。正殿の建築はところどころに中国の宮殿建築の影響が見受けられますが、構造や細部の意匠に日本の建築技術も取り入れてられており、琉球独特の表現となっています。
御差床














次は正殿二階にのぼってみます。

沖縄本島 南殿、番所の場所はこちら。




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2008年06月03日

首里城公園の風景(その8)

広福門の中央入口から中に入ると、首里城公園の中でも特に有名な正殿を見ることができます。
正殿














正殿を近くから眺めてみます。さすが風格があります。
正殿














本 正殿 - 現地の看板より引用

 国王の政務や様々な儀式が行われた建物です。正面の石階段の両脇の龍の彫刻を「大龍柱(だいりゅうちゅう)」といい、その奥にはもう一対の「小龍柱(しょうりゅうちゅう)」があります。その他に屋根や柱などにも龍はたくさんあり、首里城の中心的な建物にふさわしい装飾が施されています。

画面中央にあるのが、正殿の正面石階段の両脇にある大龍柱です。
正殿














正殿はきらびやかな装飾が施されています。
正殿














正殿の正面には御庭(うなー)と呼ばれる大広場があります。中央に見える門は広福門を裏から見たところです。
御庭














本 御庭 - 現地の看板より引用

 御庭では元旦の儀式など重要な祭事や、中国からの使者を迎える儀式をはじめとした外交上の儀礼などが行われました。敷かれているタイルは磚(せん)という敷瓦で、この色違いの列は儀式のときに諸官が位の順に並ぶための目印でした。中央の道は「浮道(うきみち)」といい、国王や冊封使など限られた人のみ通ることができました。

実は私も初めて知ったのですが、御庭の浮道は正殿から少し斜め方向に敷かれています。
正殿














何故、浮道は正殿に対し真っ直ぐ敷かれていないのかというと、そこに並ぶ諸官が正殿の国王を直視しないよう配慮されているからなのだそうです。
正殿














本 朝拝御規式模型 - 現地の看板より引用

 この模型は、首里王府が正月元旦に行った正月儀式「朝拝御規式(ちょうはいおきしきもけい)」の様子を再現したものです。

沖縄本島 首里城正殿の場所はこちら




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2008年05月27日

首里城公園の風景(その7)

広福門をくぐると、下之御庭(しちゃぬうなー)という広場に出ます。そしてこの広場で首里森御獄(すいむいうたき)奉神門(ほうしんもん)を見ることができます。
首里森御獄と奉神門














本 下之御庭 - 現地の看板より引用

 広福門を抜けたこの広場を下之御庭(しちゃぬうなー)といいます。首里城正殿前の広場である御庭(うなー)に対し、「下の庭」という意味です。正殿前で行われる様々な儀式の控えの場でした。この広場周辺には系図座・用物座や京の内、首里森御獄や奉神門があります。

奉神門は首里城正殿のある御庭に入るための最後の門です。
奉神門














本 奉神門 - 現地の看板より引用

 奉神とは「神をうやまう」という意味です。奉神門は別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいいます。向かって左側は薬や茶、タバコなどを扱った「納殿(なでん)」、右側は城内の儀式などに使われた「君誇(きみほこり)」という部屋になっていました。3つの入り口のうち、中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)など、身分の高い人だけが通ることができました。奉神門は1992年(平成4年)に復元されました。

また下之御庭の中央には、首里城内で最も重要な拝所のひとつである首里森御獄があります。
首里森御獄














本 首里森御獄 - 現地の看板より引用

 首里森(すいむい)とは首里城の別称で、御獄(うたき)とは沖縄の聖地または拝所のことです。琉球の神話では、この御獄は神が造った聖地であり、首里城内でもっとも格式の高い拝所のひとつです。城内にはここを含めて「十獄(とたけ)」と呼ばれる十カ所の拝所があったと言われています。
 国王が城外の寺社に出かけるときにこの御獄で祈りをささげ、神女たちが多くの儀礼を行いました。石積内の植物はガジュマルやクロツグです。首里森御獄は1997年(平成9年)に復元されました。

現在は奉神門から首里城正殿に入る際が有料となっています。広福門のチケット販売所で入場券を購入して奉神門へ向かいます。昔なら身分の高い人しか通ることが許されなかった中央入口から見えたものは....
奉神門














沖縄本島 奉神門や首里森御獄の場所はこちら




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2008年05月23日

首里城公園の風景(その6)

漏刻門をくぐった先の広場で日影台と万国津梁の鐘を見た後、次の広福門(こうふくもん)に進みます。
広福門














本 広福門 - 現地パンフレットより引用

 東側には士族の戸籍や財産の管理を行ったり、それらを巡る争い事などを調停した「大与座(おおくみざ)」が、西側には寺や神社を管理し、宗廟祭典(祖先を祭る行事)を司った「寺社座(じしゃざ)」がありました。別名「長御門(ながうじょう)」や「中御門(なかうじょう)」と呼ばれていました。広福は「鎮まる」の名詞で、鎮まるには「長い」という意味もあることから、「中山は治世よく永しえに」の願いを込めて広福門と名付けられたと考えられています。
 明治時代、第一尋常小学校建設のために取り壊されましたが、古い写真や発掘調査で出土した礎石などをもとに復元されました。現在は大与座側が首里城正殿の入場チケット販売所に、寺社座側がトイレになっています。

前回の記事で、日影台の背景となっていたのが広福門です。
広福門














聞いたところでは、この広福門に関する資料が極端に少ないそうで、古い写真などを手がかりに復元されたものの、未だに詳細が分かっていないところも多いのだそうです。
広福門














首里城正殿はもうすぐです。

沖縄本島 広福門の場所はこちら




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2008年05月20日

首里城公園の風景(その5)

瑞泉門をくぐり左手に曲がると、漏刻門(ろうこくもん)が見えます。このとき漏刻門は再塗装工事が行われていましたので、門の全景を見ることはできませんでした。
漏刻門














本 漏刻門 - 現地の看板より引用

 漏刻とは中国語で水時計という意味です。この門の上の櫓の中に水で時計をはかる水槽(水時計)が設置されていました。門をすぎた広場には日時計があり、その二つの時計で時刻をはかり、太鼓を叩いて時を知らせました。別名「かご居せ御門(かごいせうじょう)」ともいいます。駕籠で登城することを許されていた身分の高い役人も、国王に敬意を表し、この門で駕籠から下りたということから、このように呼ばれました。創建は15世紀頃。老朽化のため昭和初期には撤去されていたものを1992年(平成4年)に復元しました。

国営沖縄記念公園事務所

漏刻門から那覇市、浦添市内方面を眺めます。手前に見える門は首里城の出口にあたる久慶門で、奥側に見えているのは首里城の正門にあたる歓会門です。
漏刻門














漏刻門をくぐった先は広場となっており、そこには漏刻門の水時計と共に時を計り続けた日影台(にちえいだい)という日時計が設置されています。
日影台














本 日影台 - 現地の看板より引用

 漏刻が水時計であるのに対し、日影台は日時計のことです。琉球王国時代、首里城では日時計を用いて正午およびその前後の時刻をはかり、また漏刻で詳しい時刻をはかったと言われています。日影台は十二支が刻まれた時刻板(石の円盤)に銅製の棒が取り付けられ、その日影によって時刻をはかるようになっていたと推測されています。
 沖縄戦で破壊されたものを、2000年(平成12年)にかつての形態に復元しました。日影台の示す時(地方太陽時)は、日本標準時に対して、約30分遅れています。

国立沖縄記念公園事務所

また広場には、首里城正殿の前にかけられていた「万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘」が設置されている供屋(ともや)があります。
供屋














本 万国津梁の鐘と供屋 - 現地の看板より引用

 万国津梁の鐘は1458年に鋳造され、首里城正殿の前にかけられていた銅鐘です。万国津梁(ばんこくしんりょう)とは「世界の架け橋」という意味です。鐘には「琉球王国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国と日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である」という主旨の銘文が刻まされており、往事の海洋王国としての誇らしい心意気が示されています。ここに展示している鐘は沖縄県立博物館所蔵の実物をもとに、鋳造当時の状態に複製したものです。
 建物は供屋という施設ですが、往事の具体的な使われ方は分かっていません。いずれも2000年(平成12年)に復元されました。

国立沖縄記念公園事務所

供屋の中には万国津梁の鐘が設置されていました。
万国津梁の鐘














鐘の表面には万国津梁の銘文が刻まれています。沖縄県庁の第一知事応接室には、この銘文が書かれた屏風がおかれていることで有名です。
万国津梁の鐘














長年沖縄に住んでいますが、勉強させられるものばかりです....

沖縄本島 漏刻門や日影台、供屋の場所はこちら




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2008年05月17日

首里城公園の風景(その4)

歓会門をくぐると、正面右側にいくつかの建築物が見えてきます。先に進むにはこの石段を上がるようです。
瑞泉門














石段の上には瑞泉門(ずいせんもん)が見えます。
瑞泉門














石段を上る途中、石段右側に視線を移すと....
瑞泉門














国王一族の飲料水として利用されていた湧き水である、龍樋(りゅうひ)を見ることが出来ます。
龍樋














本 龍樋、冊封七碑(さっぽうしちひ)と瑞泉門 - 現地の看板より引用

 石段途中の右手には泉があります。龍の口から水が湧き出ていることから、龍碑という名があります。龍の石彫刻は今から約500年前の1523年に中国からもたらされた当時のままのものです。龍碑の水は王宮の飲み水として使われました。また、中国からの使者「冊封使(さっぽうし)」が琉球を訪れたとき、那覇港近くにあった宿舎「天使館(てんしかん)」まで、毎日この水が運ばれたといいます。
 この周辺の石碑は、龍樋の水の清らかさを称賛した冊封使たちの書を刻んだもので、冊封七碑と呼ばれています。沖縄戦でほとんどが破壊されましたが、拓本をもとに1996年(平成8年)に復元されました。
 石段上の門は瑞泉門で、その名は龍樋の水が瑞泉(立派な、めでたい泉の意味)と讃えられたことに由来します。別名「ひかわ御門(うじょう)」とも言います。「ひ」は樋(とい)のことで、「かわ(川)」は沖縄では井戸や泉のことを指します。瑞泉門は歓会門とは違い、双璧の石門の上に櫓がのっています。この形式は日本本土の主な城の門と共通しています。
 創建は1470年頃で、沖縄戦で焼失しましたが、1992年(平成4年)に復元されました。

龍樋を正面から見てみます。約500年前の龍の石彫刻から、今でも水が湧き出ています。
龍樋














瑞泉門にきました。次に進んでみたいと思います。
瑞泉門














長年沖縄に住んでいながら、知らない建築物だらけです....

沖縄本島 瑞泉門、龍樋の場所はこちら




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2008年05月16日

首里城公園の風景(その3)

園比屋武御獄石門を見学した後、首里城に入るため、首里城の正門である歓会門(かんかいもん)に向かいます。
歓会門














本 勸會門 - 現地の看板より引用

 首里城の城郭内に入る第一の正門。中国皇帝の使者である「冊封使(さっぽうし)」などを歓迎するという意味でこの名がつけられました。「あまへ御門(うじょう)」とも言います。「あまへ」は沖縄の古い言葉で「歓んで迎える」を意味しており、「歓会」はその漢訳です。
 門の両側の一対の獅子像「シーサー」は魔除けの意味を持っています。1500年前後創建、沖縄戦(1945年)で焼失し、1974年(昭和49年)に復元されました。

国営沖縄記念公園事務所

園比屋武御獄石門はこじんまりとした小さな建築物でしたが、歓会門は首里城の正門だけあって、なかなかのものです。入り口では魔除けのシーサーが入場者を迎えてくれます。
歓会門














本 首里城跡 - 現地の看板より引用

 首里城は1429年から1879年まで、琉球王国の国王の居城でした。王城は琉球の政治、外交、文化の中心として栄え続けました。発掘調査の結果、首里城は14世紀の末頃までには築かれていたことが明らかになっています。
 首里城は地形を巧みに活用して、内郭と外郭に分けて築かれています。城壁は琉球石灰岩の切石で築かれ、その総延長は約1080メートルです。城壁の高さは6メートルから15メートルにもなり、その厚さはおよそ3メートルです。歓会門が大手門(正門)で西側城壁にあります。
 城内には正殿、北殿、南殿などの重要な建物が御庭(うなー)を囲んであり、正殿は1925年に国宝に指定されていました。しかしこれらの建物群は沖縄戦ですべて焼失し、1972年から復元整備が実施されています。

国指定史跡
1972年5月15日
沖縄県教育委員会

いよいよ首里城に入ります。
歓会門














なぜか緊張してきます。

沖縄本島 歓会門の場所はこちら




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2008年05月15日

首里城公園の風景(その2)

守礼門をくぐると、一番始めに目に入るのが園比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)です。
園比屋武御獄石門














文字通り、木の扉以外は琉球石灰岩でできています。先の大戦で大破したのですが、復元修理を経て今もその姿を残しています。
園比屋武御獄石門














そう大きな石門ではありませんが、2000年12月2日に琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして、世界遺産リストに登録されました。
園比屋武御獄石門














本 園比屋武御獄石門 - 現地の看板より引用

 石門とその奥の森を園比屋武御獄といい、王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが、本殿に相当する建物はなく、石門の後ろに広がる森がそれにあたるという。石門の創建は尚真王時代の1519年で、1933年には旧国宝に指定されたが、先の沖縄戦で大破、1957年に復元された後に解体修理し、1986年に完成した。
 石門は竹富島の西塘(にしとう)の作と伝えられる。石材は主に琉球石灰岩を用い、板葺唐破風屋根(いたぶきからはふうやね)を表す。屋根の飾りなどに日本と中国の様式を合わせて用いた、沖縄独特の優れた石造建築である。

1955年11月29日 沖縄県指定史跡
1972年5月15日 国指定建造物
2000年12月2日 ユネスコ世界遺産リスト登録

沖縄県教育委員会

石門の裏側には、本殿にあたるという森が広がっています。
園比屋武御獄石門














あまり大きくない石門なので目立ちませんが、立派な世界遺産ですので、行かれる際はぜひ見学を。

沖縄本島 園比屋武御獄石門の場所はこちら




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2008年05月13日

首里城公園の風景(その1)

先日、仕事で沖縄に来た県外の友人を連れ、首里城公園に行ってきました。

首里城公園のインフォメーションセンターである首里杜館(すいむいかん)を出発すると、最初に登場するのは有名な守礼門
守礼門














本 旧首里城守礼門 - 現地の看板より引用

 守礼門はかつての中山門に続く首里城第二の坊門で、琉球王国時代の尚清王代(1527年~1555年)に創建されたと伝えられている。当初、「待賢」、ついで「首里」の扁額が掲げられたことで、「待賢門」、「首里門」と呼ばれていたという。尚永王代(1573年~1588年)に「守禮之邦」の扁額が作られ、冊封使の滞在中だけ掲げていたが、尚質王代(1648年~1668年)から常時掲げられるようになり、「守礼門」と呼ばれるようになったと伝えられている。
 建築様式は中国牌楼の流れをくむ装飾建築と言われている。構造は三間重層入母屋造で、屋根は赤瓦の本瓦葺き、高さ7.05メートル両端柱間7.94メートルである。昭和8年に国宝に指定されていたが、去る沖縄戦で破壊された。現在の守礼門は昭和33年に復元されたものである。

沖縄県指定有形文化財(建造物) 昭和47年5月12日指定
沖縄県教育委員会

しかし、首里城に行ったのは何年ぶりだろうか。沖縄に住んでいる私としては、あまりにも近くにあるため逆に行く機会がなかった訳で....
首里城














しかし、こうして見学してみると、沖縄に住んでいながら初めて見るものだらけでした。灯台もと暗しとはこのことでしょうか。
守礼門














さて、首里城公園の中に入ってみたいと思います。

沖縄本島 守礼門の場所はこちら




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2008年02月25日

国際通りトランジットモール(その2)

久しぶりに那覇市の国際通りへ行ったところ、その日は日曜ということで歩行者天国になっていました。
国際通り














実は、国際通りトランジットモールに来るのは初めてです。
国際通り














子供達が色とりどりのチョークを使って、道にらくがきをしていました。楽しそうだなあ。
国際通り














普段は車があふれている国際通りですので、たまにはこういうのもいいですね。


沖縄本島 国際通りの場所はこの辺り




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2008年02月24日

国際通りトランジットモール(その1)

国際通り国際通りは歩行者天国になってます。
  
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2008年01月30日

那覇空港での1コマ

那覇空港の3階ターミナルにて。
那覇空港














ちょうど時期なんですね。受験生の皆さん、頑張って下さい!

ちなみに、納められたものは、後日太宰府天満宮に奉納して下さるそうですよ。



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2007年10月22日

帰ってきました

ゆいレール那覇空港駅お腹すいた...
  
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