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白梅学徒看護隊之壕の風景
八重瀬町に行ってきたわけですが....
八重瀬町富盛にある八重瀬公園の駐車場にやってきました。
駐車場そばの階段を上っていくと、
八重瀬グスク(富盛城)や八重瀬公園があるのですが、
階段のすぐ左側にもう一つ階段が....
左側の階段がどこに向かっているかというと....
白梅学徒看護隊之壕に向かう階段だったのです。
階段を上った場所には、
大きな岩の間にわずかに出来た空間があります。
階段から10メートルほど奥に歩いた場所に、
岩の切れ目に出来た洞窟の入り口が見えてきます。
この洞窟が白梅学徒看護隊之壕です。
壕の入口付近の岩が黒ずんでいるのは、
アメリカ軍の火炎放射の攻撃を受けた跡だと言われています。
白梅学徒隊(県立第二高等女学校) - 現地の看板より引用
第二四師団第一野戦病院入隊(山3486)
昭和20年3月6日
県立第二高等女学校在学四年生55名は軍命により軍属となり、第24師団第一野戦病院(山3486)入隊、衛生看護教育隊として東風平国民学校で教育を受けた。集中教育で毎日テストが繰り返された。また注射の実施指導も行われた。
教育隊の第一班から第三班までは、積徳高等女学校在学生55名が配置され、第四班から第五班までは第二高等女学校の在学生55名が配置された。第六班は初年兵で構成されていた。
昭和20年3月24日
衛生教育終了。同日夕方、白梅隊員は字富盛八重瀬岳にある、第一野戦病院へ移動配置された。
昭和20年3月25日~27日
健康上または家庭の事情で、白梅隊員9名に帰宅命令。
昭和20年4月下旬
第一野戦病院新城分院壕開設され、命により白梅隊員5名配置につく。(通称ヌヌマチガマ)
昭和20年6月3日
戦況が悪化し新城分院壕は閉鎖され、隊員5名は八重瀬の本体へ帰隊した。
同日
第一野戦病院本部は戦況の悪化により、富盛の八重瀬岳から糸満市国吉の壕へ後退が決定され、直ちに移動を開始した。
富盛の上の壕
L字型の壕入り口に手術室があった。白梅隊員の主な任務は病兵の食事、用便の世話、包帯交換さらに手術の手伝い、切断した手足の処置等々であった。
富盛の下の壕
八重瀬岳中腹に掘られた縦横其々四、五本の入口壕でおよそ500名の患者収容能力があった。その壕には軍医、衛生兵、看護婦がおよそ190名と白梅隊員46名がいた。白梅隊の主な任務は傷病兵の食事、用便の世話、包帯の交換、水汲み汚物の洗濯であった。
沖縄戦の病院壕跡をいくつか訪ねたことがありますが、
どこの壕も医療道具はおろか薬すら不足している状況で、
治療といえば患部を切断するしか手がなかったといわれます。
麻酔なんてもちろんないため、
切断のときに暴れる傷病兵を押さえつけるのが、
学徒隊の大事な任務の一つだったといいます。
そして壕からの撤退が決まったとき、
連れて行くことが出来ない傷病兵に、
青酸カリか手りゅう弾のどちらかを手渡したといいます。
沖縄陸軍病院南風原壕
伊原第一外科壕
糸洲の壕 の風景はこちら
白梅学徒看護隊之壕の場所はこちら
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八重瀬町富盛にある八重瀬公園の駐車場にやってきました。
駐車場そばの階段を上っていくと、
八重瀬グスク(富盛城)や八重瀬公園があるのですが、
階段のすぐ左側にもう一つ階段が....
左側の階段がどこに向かっているかというと....
白梅学徒看護隊之壕に向かう階段だったのです。
階段を上った場所には、
大きな岩の間にわずかに出来た空間があります。
階段から10メートルほど奥に歩いた場所に、
岩の切れ目に出来た洞窟の入り口が見えてきます。
この洞窟が白梅学徒看護隊之壕です。
壕の入口付近の岩が黒ずんでいるのは、
アメリカ軍の火炎放射の攻撃を受けた跡だと言われています。
白梅学徒隊(県立第二高等女学校) - 現地の看板より引用
第二四師団第一野戦病院入隊(山3486)
昭和20年3月6日
県立第二高等女学校在学四年生55名は軍命により軍属となり、第24師団第一野戦病院(山3486)入隊、衛生看護教育隊として東風平国民学校で教育を受けた。集中教育で毎日テストが繰り返された。また注射の実施指導も行われた。
教育隊の第一班から第三班までは、積徳高等女学校在学生55名が配置され、第四班から第五班までは第二高等女学校の在学生55名が配置された。第六班は初年兵で構成されていた。
昭和20年3月24日
衛生教育終了。同日夕方、白梅隊員は字富盛八重瀬岳にある、第一野戦病院へ移動配置された。
昭和20年3月25日~27日
健康上または家庭の事情で、白梅隊員9名に帰宅命令。
昭和20年4月下旬
第一野戦病院新城分院壕開設され、命により白梅隊員5名配置につく。(通称ヌヌマチガマ)
昭和20年6月3日
戦況が悪化し新城分院壕は閉鎖され、隊員5名は八重瀬の本体へ帰隊した。
同日
第一野戦病院本部は戦況の悪化により、富盛の八重瀬岳から糸満市国吉の壕へ後退が決定され、直ちに移動を開始した。
富盛の上の壕
L字型の壕入り口に手術室があった。白梅隊員の主な任務は病兵の食事、用便の世話、包帯交換さらに手術の手伝い、切断した手足の処置等々であった。
富盛の下の壕
八重瀬岳中腹に掘られた縦横其々四、五本の入口壕でおよそ500名の患者収容能力があった。その壕には軍医、衛生兵、看護婦がおよそ190名と白梅隊員46名がいた。白梅隊の主な任務は傷病兵の食事、用便の世話、包帯の交換、水汲み汚物の洗濯であった。
沖縄戦の病院壕跡をいくつか訪ねたことがありますが、
どこの壕も医療道具はおろか薬すら不足している状況で、
治療といえば患部を切断するしか手がなかったといわれます。
麻酔なんてもちろんないため、
切断のときに暴れる傷病兵を押さえつけるのが、
学徒隊の大事な任務の一つだったといいます。
そして壕からの撤退が決まったとき、
連れて行くことが出来ない傷病兵に、
青酸カリか手りゅう弾のどちらかを手渡したといいます。
沖縄陸軍病院南風原壕
伊原第一外科壕
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