沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
てぃーだブログ › 沖縄の風景 › 西原町 › 沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔







沖縄お取り寄せ







沖縄の風景:お気に入り


ひろがるぶろぐ by BlogPeople

これまでの足跡

キラキラ  ブログ成長記録!

大黒屋トラベル



ムームードメイン



ロリポップ



沖縄の風景:メッセージ
沖縄の風景:読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 34人




沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔

西原町に行ってきたわけですが....

旧西原村役場壕跡から50メートルの場所に、
数々の戦争で亡くなられた方が祀られている、
西原の塔があります。
沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔

沖縄戦では日本軍の飛行場があったことや、
軍司令部が近くにあったことで激戦地となった西原町。

町民(当時は村民)の二人に一人が犠牲になったといわれます。
沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔

本 西原の塔の沿革

 西原の塔は日露戦争、第一次世界大戦、支那事変等の戦場で亡くなられた英霊を祀るために、昭和16年頃、当初「忠魂碑」と称して建立されたと伝えられている。その忠魂碑は去る沖縄戦で破壊された。
 沖縄戦で最も激戦地の一つとなった本町では、住民の約47パーセントが戦禍で散ったが、生き残った村民が協力して村内各地の野や山で風雨にさらされていた兵士や住民の遺骨を収集し、現在地に納骨した。
 1955年(昭和30年)、沖縄協会の援助と村民の奉仕作業及び寄付金運動によって、忠魂碑の全面改修を行い、「西原村慰霊塔」と改称した。そのとき収骨、合した英霊は1700余柱であった。
 その後、沖縄県において西原村内で戦没した県外出身者、村外本県出身者の確認もでき、英霊の柱数も増えた。併せて村内出身者の軍人、軍属、一般戦闘協力者、村出身外地戦没者も含む英霊の遺族台帳の整備を進めるとともに、1976年(昭和51年)には、西原の塔周辺や休息所、駐車場が整備された。
 合祀されている英霊の柱数は、1981年(昭和56年)現在まで、7068柱である。1985年(昭和60年)には、「西原町非核反戦平和都市」を内外に高らかに宣言し、より積極的な各種平和事業を推進している。
 1992年(平成4年)、本土復帰20周年を迎え、その記念事業として沖縄戦の教訓を後世に伝えるとともに、反戦平和に訴えつづけるために「平和モニュメント」を建立した。

1993年(平成5年) 西原町、西原町遺族会

西原の塔がある敷地には、
ほかにも数々の慰霊塔が建てられています。
沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔

数多くの慰霊塔が当時の激戦を語っているようです。
沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔

また西原の塔の隣には、
戦争の犠牲となった西原町民(当時は村民)の名前を記した、
西原町地元住民戦没者刻銘碑があります。
沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔

村民の二人に一人が犠牲となった旧西原村、

犠牲者の名前を記す慰霊碑が、
こんな大きなものになってしまうのは悲しいことです。
沖縄戦の激戦地、西原町に建立された西原の塔


沖縄本島 西原の塔の場所はこちら



「沖縄の風景」いかがでしたか? すべての出愛(出会い)に感謝です。
気に入って頂けましたら、下のボタンをポチッとクリックお願いします!
沖縄の風景 にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 沖縄情報


同じカテゴリー(西原町)の記事

Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2014年12月12日   12:00
Comments( 0 ) 西原町
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
[公開]
[非公開]
※管理人のみ管理画面から確認することができます。
[公開]
[公開]
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。