沖縄の風景

普通の観光案内にある沖縄の風景とはひと味違う、ニッチな沖縄の風景を紹介します。観光名所として知られる沖縄の風景はもちろんですが、観光案内では紹介されないようなマニアックな沖縄の風景まで、様々な沖縄の風景をお楽しみ下さい。たまに沖縄の風景とは全く関係のないネタが飛び出すこともありますが、これもご愛敬ということで....
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沖縄初の外交官、田場盛義の顕彰碑

浦添市に行ってきたわけですが....

とある方から当山の石畳道が見たいとお願いされ、
現地まで連れて行ったわけですが、
当山の石畳道

当山小学校側の場所まで歩いてきたとき、
ふと近くのカーブミラーを見上げると、

沖縄初の外交官、田場盛義顕彰碑と書かれた、
小さな案内板を見つけました。
田場盛義 顕彰碑

せっかくここまで来ているのだから、
ちょっと行ってみようかということになり、

300メートルほど歩いた場所にある、
当山小公園までやってきました。
田場盛義顕彰碑

田場盛義さんの顕彰碑は、
当山小公園の片隅にありました。
田場盛義 外交官

当山小公園の隣に田場盛義さんの生家があったということです。
田場盛義 外務省

沖縄出身外交官 田場盛義 田場盛義顕彰碑

 田場盛義(1894年~1937年)は浦添市当山で出生。沖縄初の外交官となり、国際的にも活躍した沖縄の先駆者である。
 田場の外交官としての資質は、絶えず語学の教科書と辞書を持ち歩き、また休日には庭先の木に登り英単語に熱中した。そのため地元では、学フラー(学問狂い)と呼んだほどである。
 1915年、東京外国語学校(現東京外大)に入学、難関な外務書記生試験に合格する。任地は外務省本省、中国福州、香港、アモイ、吉林、漢口、南京の領事館から、退任後は上海商務官事務所、旧満州国外交部、通州特派員公署であった。上海では松岡洋右(後の外務大臣)の秘書役を務め、その実力は高く評価された。郷土への想いも強く、雅号は沖縄振興を計る意味の「耕南」と称した。しかし不幸な日中戦争で志を半ばに42歳の若さで生涯を閉じた。葬祭は田場の業績を称え、満州国葬、那覇市葬が営まれた。
 沖縄を担い中国を生きた田場の生涯は、先駆者として浦添、沖縄の近現代を代表する人物である。生誕の地に浦添市、各方面の拠金により顕彰碑を建立し、次世代と市民、区民の道標とする。

2010年3月吉日
当山自治会、田場盛義顕彰碑建立期成委員会



浦添ようどれの見える場所にある当山小公園、
この場所から沖縄初の外交官が誕生したというわけです。
浦添ようどれ

沖縄本島 田場盛義顕彰碑の場所はだいたいこの辺り



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Posted by 沖縄の風景 はじめ at 2011年09月13日   08:30
Comments( 0 ) 浦添市
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