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伊原第一外科壕の風景
糸満市伊原にある伊原第三外科壕跡。伊原第三外科壕と呼ぶより、ひめゆりの塔と呼んだ方がピンとくる人は多いかと思います。
その、ひめゆりの塔から500メートルくらい離れた場所に、南風原町にある沖縄陸軍病院から撤退してきたひめゆり学徒隊の一部の方が身を潜めた、伊原第一外科壕跡があります。

伊原第一外科壕は、大勢の観光客が訪れる伊原第三外科壕とは違い、人影もなく実にひっそりとしています。

畑の真ん中にポツンとある伊原第一外科壕ですが、中はかなり深い岩の切れ目になっています。

足下に注意しながら、ゆっくり下に降りてみます。

岩の切れ目の奥を覗いてみますが、何とも言えない異様な雰囲気で、足下がすくんでしまいます。

1945年、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒と職員は、南風原町にある沖縄陸軍病院に看護補助員として従軍しますが、戦況が悪化し病院の機能が維持できなくなったため、本島南部の伊原方面へ撤退、分散して地下壕に潜むことになります。なお撤退の際、助かる見込みのない負傷兵には青酸カリが渡されたという証言があります。
しかし更に戦況は悪化、学徒隊は現地で解散を命じられるのですが、その頃は既にほとんどの地域を米軍が掌握しているような状況であったため、壕から出ることは死に等しかったと言われます。
聞いた話なのですが、ひめゆり学徒隊の方々は当初、沖縄陸軍病院に従軍する際、日本軍の圧倒的な勝利で、戦争はすぐに終わると思っていたそうです。しかし現実は全く逆で、戦況は日に日に悪化し、まるで生き地獄。彼女らは沖縄陸軍病院で何を思い、どのような気持ちでここまで撤退、身を潜めていたのでしょうか。

> 沖縄陸軍病院南風原壕
> 悲風の丘(その1)
> 悲風の丘(その2)
> 悲風の丘(その3)
> 悲風の丘(その4) の記事はこちら。
伊原第一外科壕跡 - 現地の看板より引用
ここは陸軍病院第一外科及び糸数分室所属の軍医看護婦、沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校職員生の徒のいた壕である。
米軍の迫まる1945年6月18日夜、軍より学徒隊は解散を命ぜられ、弾雨の中をさまよい照屋秀夫教授以下、多くはついに消息をたった。軍医、看護婦患者も同じく死線を行く生死のわかれの地点である。ここで負傷戦没した生徒、
古波蔵満子、荻堂ウタ子、牧志鶴子、石川清子、浜元春子、知念芳、神田幸子、比嘉ヨシ、照屋貞子。藤野憲夫沖縄県立第一中学校長もここで最後を遂げた。謹んで記して御冥福を祈り、平和を祈願する。
(現地の看板の文字が読みにくいため、誤字脱字の可能性があります。)
1974年6月 ひめゆり同窓会
また参考までに、他にもこのような場所があります。
> 糸数アブチラガマ(その1)
> 糸数アブチラガマ(その2)
> 糸洲の壕 の記事はこちら
伊原第一外科壕の場所はだいたいこの辺り
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その、ひめゆりの塔から500メートルくらい離れた場所に、南風原町にある沖縄陸軍病院から撤退してきたひめゆり学徒隊の一部の方が身を潜めた、伊原第一外科壕跡があります。
伊原第一外科壕は、大勢の観光客が訪れる伊原第三外科壕とは違い、人影もなく実にひっそりとしています。
畑の真ん中にポツンとある伊原第一外科壕ですが、中はかなり深い岩の切れ目になっています。
足下に注意しながら、ゆっくり下に降りてみます。
岩の切れ目の奥を覗いてみますが、何とも言えない異様な雰囲気で、足下がすくんでしまいます。
1945年、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒と職員は、南風原町にある沖縄陸軍病院に看護補助員として従軍しますが、戦況が悪化し病院の機能が維持できなくなったため、本島南部の伊原方面へ撤退、分散して地下壕に潜むことになります。なお撤退の際、助かる見込みのない負傷兵には青酸カリが渡されたという証言があります。
しかし更に戦況は悪化、学徒隊は現地で解散を命じられるのですが、その頃は既にほとんどの地域を米軍が掌握しているような状況であったため、壕から出ることは死に等しかったと言われます。
聞いた話なのですが、ひめゆり学徒隊の方々は当初、沖縄陸軍病院に従軍する際、日本軍の圧倒的な勝利で、戦争はすぐに終わると思っていたそうです。しかし現実は全く逆で、戦況は日に日に悪化し、まるで生き地獄。彼女らは沖縄陸軍病院で何を思い、どのような気持ちでここまで撤退、身を潜めていたのでしょうか。
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> 悲風の丘(その4) の記事はこちら。

ここは陸軍病院第一外科及び糸数分室所属の軍医看護婦、沖縄師範学校女子部、沖縄県立第一高等女学校職員生の徒のいた壕である。
米軍の迫まる1945年6月18日夜、軍より学徒隊は解散を命ぜられ、弾雨の中をさまよい照屋秀夫教授以下、多くはついに消息をたった。軍医、看護婦患者も同じく死線を行く生死のわかれの地点である。ここで負傷戦没した生徒、
古波蔵満子、荻堂ウタ子、牧志鶴子、石川清子、浜元春子、知念芳、神田幸子、比嘉ヨシ、照屋貞子。藤野憲夫沖縄県立第一中学校長もここで最後を遂げた。謹んで記して御冥福を祈り、平和を祈願する。
(現地の看板の文字が読みにくいため、誤字脱字の可能性があります。)
1974年6月 ひめゆり同窓会
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